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二級建築士試験 合格体験談 愛知県まろさん

「建築士になりたいという気持ち」HN:愛知県 まろ

はじめまして!最端製図18期生のまろと申します。
この度、初受験から4年目にして絶望と挫折の末にようやく合格を勝ち取ることが出来ました。
ここに長きに渡ってしまった苦悩の体験談を記させてもらいますので、参考や反面教師にしてもらえたら幸いです。(涙)

建築士の受験を決意

私が初めて建築士の受験を決意したのは、5年前の2018年でした。
元々学生のころから建築が好きだったので、建築士になりたいという漠然とした憧れをずっと持っていましたが、建築士の勉強はとても大変だということをいろんな人から聞いていたので、ひとまず実務で優先的に必要だった1級建築施工管理技士を取得してから二級建築士に挑戦しようと目標を定めました。

翌年の2019年度の一級建築施工管理技士に申し込みをしてチャレンジしたのですが、無事にストレートで合格をすることができたので、2020年度の二級建築士試験に申し込みをしました。そこから長きにわたることになってしまう私の二級建築士への挑戦が始まりました。
学科試験の問題は施工管理技士で勉強した内容と重複する問題が多かったこともあって、特に苦労することもなくその年の学科試験を無事に突破することができました。

1年目 初めての製図試験への挑戦

学科試験は独学での勉強でなんとかなりましたが、製図試験の方は絶対に独学では無理だと思ったので、施工管理技士の受験の際に情報提供などでお世話になった某資格予備校に通って対策をすることにしました。

資格予備校の教室には半分以上くらい受験経験者がいて、初日からいきなりエスキースをできる人はしてください。と課題を出されたのですが、経験者組が黙々とプランニングに没頭するのを横目にエスキースのいろはの「い」すら知らない私は一向にペンが進まず、白紙のエスキース用紙を眺めながら時間だけが過ぎていくのを感じ、取り残された気持ちになったことを覚えています。

それでもなんとか必死で食らいつき、猛練習の甲斐もあって、受験が目前に差し迫った8月の終わりごろにはなんとか製図も3時間半程度で一式図を描ける様になり、かろうじてエスキースが出来て、なんとか図面の体裁を保った程度のものは描けるようになり、初の製図試験当日を迎えることになりました。

本番は、緊張で手が震えながらもなんとか最低限の目標だった図面を最後まで描きあげることができました。バルコニーの要求部屋が多いという以外は大きなサプライズも特になく、安堵とそれなりの手応えを感じながら予備校に戻って再現図を予備校の先生に見てもらいました。

しかし、そんな私を絶望の淵に叩き落す採点結果が返ってきました。
「バルコニーの伏図に描いてある柱が平面図上で駐車スペースにかかっているので、これは大きな減点になる。そして図面間の不整合もたくさんあるので、今年の合格は難しいかも知れない」

実は片持バルコニーの補強の仕方を一度予備校の課題でやっていたのですが、その時はほとんど理解することができずにいました。

よくわからない場合は柱を立てればいいという話だけをなんとなく聞いていたのですが、先生が忙しそうにされていたこともあり、突っ込んで深掘りして聞くことも出来ずに当日を迎えてしまっていたので、伏図のバルコニーの柱に1階柱を表すバッテンだけを描いてその他の図面に反映させていなかったのでした。
その柱を立てた部分が見事に駐車スペースのど真ん中にかかってしまっていて、思いっきり駐車の邪魔をしていました。

伏図に柱を描いたなら他の図面にも当然反映させなければいけないし、柱が立つところには当然干渉するものがあってはいけません。よく考えてみれば当然のことです。
バルコニーが出たらとりあえず伏図に柱を表現しておけばいいということしか考えていなかった自分の浅はかさを恨みながら失意の中、帰路につきました。
こうして深い絶望とため息と共に私の1年目の製図試験の挑戦は終わりました。

合格発表日、落ちているだろうと思いながらも僅かな望みをかけて、合格発表の番号を順番に見ていきましたが、そんな奇跡は起こるはずもなく私の番号はありませんでした。

後日、はがきが届き、ランクはⅢでした。
落ちていると思っていたので、意外とショックは少なく既に翌年の対策に早々と心は切り替わっていました。

2年目の挑戦 最端製図との出会い

予備校の営業の担当の方から来年こそはということで勧誘の電話が何度かありましたが、聞きたいことがあっても設計事務所の仕事と掛け持ちされている多忙な先生には、なかなかマンツーマンで指導をしてもらえなかったことに加えて、不合格の決定的な要因になったバルコニーの柱の件についても、もう少し詳しく教えてもらえていたら結果は違っていたのではないかという不満に近い想いがありました。

また、当時は仕事の関係で出張が多く、決まった場所に、決まった時間に通わなければいけない資格予備校は自分には向いてないのかもと思い始めていました。

そんな中で、二級建築士への受験を決めたときからネット検索などで気になっていた最端製図が頭に浮かびました。エスキースコードも予備校時代からお世話になって愛用していて、とてもわかりやすかったし、なにより自宅で好きなときに好きな時間に勉強できて質問も好きなときに出来るということが私のニーズにはぴったり合っているように感じて、二度目の挑戦は最端製図にお世話になろうと決めました。

ネットから前半戦の申込みをすると、確か1月の中旬ころの日曜日のお昼過ぎだったと思いますが、神無先生から30分もしないうちに申し込みのお礼のメールが届きました。
そこで、色々と試験のことや今後の進め方についてアドバイスをもらおうと何点か質問を送らせてもらったのですが、その質問にも迅速にかつ丁寧にご返信をくださって、最端製図を選んでよかったとその時点ですぐに感じることができました。

その年の試験の予想される課題は、順当に行けばRC造で、木造とは勝手が違い苦戦しましたが、わからないことがあればその都度掲示板で質問をさせてもらって、いつも迅速に丁寧に先生が返信をして頂いたおかげで初のRCでも一つずつ理解を深めながら勉強することができました。

そうして、前半戦初めての課題をなんとか仕上げて提出しました。
RC造は初だったとは言え、一度受験を経験しているのでそんなに添削されることはないだろうと高を括っていたのですが、返ってきた答案を見るとぎっちりと赤ペンの嵐!
自分の実力のなさを改めて実感して少し凹んだと同時に、予備校のときには指摘をしてもらえることすらなかった部分にも赤ペンとともに丁寧に解説を書き込んでいただいていて、とてもありがたかったです。

予備校時代はひたすら図面を描くことこそが合格への唯一の近道だと信じていましたが、自分の描いてきた図面は間違いだらけだったんだとやっと気付かされました。
製図の表現にしても、動線などのプランニングの基本的な考え方についても最端製図の添削で教えて頂いて、理解できるようになったことがたくさんありました。

前半戦はしばらく赤ペンだらけの返却された答案を見て凹んでいましたが、後半戦はその赤ペンの量もかなり減ってきて、本当に時折ですが、先生に褒めていただけることもあったりして、少しずつ成長してきていることを実感できました。

そうして迎えた2年目の製図試験本番。

この年の課題は「歯科診療所併用住宅」という課題でした。

エスキースの難易度に左右されて、不安だらけだった前年と違って問題の難易度によって戦略を変えるという方法を先生から伝授して頂いていた自分は「どんな問題でも来い!」と自分を鼓舞しながら答案用紙が配られるのを待ちました。
しかし、配られた答案の裏から透けて見える断面図のGL線の妙な違和感に胸がきゅっと締め付けられ、嫌な予感を脳が感知して動悸が早くなるのを感じました。

試験開始と同時にその違和感の正体を確かめると、嫌な予感はあたっており、断面図のGL線がなんとまっすぐではなく東西に斜めに傾斜して描かれていました。
真っ白になりながらも問題文を読んでみると、土地にはゆるやかに傾斜がついていて、しかも土地全体を切土や盛り土してはいけないという鬼のような制限付き。
全く想定していなかったサプライズに冷や汗が噴出して、完全に冷静さを失ってしまいました。
「嘘だろ・・・・」試験中にも関わらず思わず心の中の呟きが口から出てしまいました。

そこで一度冷静になって、「土地全体を切土や盛土はしてはいけないけど、一部だったらいい」という風に落ち着いて解釈すればよかったのですが、冷静さを失った私は土地をなんとかそのまま活かしながらプランを作ろうとした結果、部屋の内部で段差が発生してしまうというなんとも型破りなプランが出来上がってしまいました。

なんとか完図だけはして若干の見直しも確保して提出しましたが、試験が終わってからも冷や汗と心臓の早くなった鼓動が収まりませんでした。

試験が終わってすぐに先生が描いてくれた参考プランを見てみると、土地の傾斜など初めから存在しなかったように擁壁で一部を切土と盛土しながらいつも通りの形でプランが作られていて、自分のへんてこプランとのあまりの違いに愕然としました。
土地の傾斜を難しく考えず、冷静に問題を読んで、いつも通りのプランをすれば決して難しい問題ではなかったのです。見たことのない断面図の傾斜に動揺して完全に冷静さを失った私の二度目の製図試験も惨敗という結果に終わりました。

「試験では、いつもと違うことをしてはいけない。いつもどおりに、普段の練習通りに行ってください」

先生からずっと言われてきたことを守ることが出来ずに、想定していなかったサプライズに惑わされていつもと違うことをしてしまったことが敗因でした。一縷の望みをかけて合格発表を待ちましたが、この年も当然ながら番号はありませんでした。

3年目の挑戦 角番の土俵際の戦い

3年目。いよいよ学科試験免除が受けられる最後の年になってしまいました。

課題はまた木造に戻ってしまいましたが、木造のほうが製図の時間や習得するまでに時間がかかる分だけ経験者が有利になるのではという考えがあったので、逆にチャンスと捉えてもう一度一から木造を学びなおす気持ちで課題に取り組みました。

木造は特に伏図に苦手意識があって、1年目のときは伏図を曖昧にしか理解できておらず製図にかかる時間も安定していなかったのですが、最端製図の伏図攻略テキストと神無先生やmeo先生の丁寧な指導のおかげで前半戦が終わるころにはすっかり伏図は得意図面に変わっていました。

後半戦の終わりごろには、3年目にしてようやく安定してA-の評価をいただけるようになり、不安だらけの1年目とは異なり、それなりの自信を持って本番を迎えることができました。

そうして迎えた3年目の製図試験本番の日。

この年の課題は「保育所(木造)」でした。前年は目玉が飛び出そうなサプライズがあったので、最大限に警戒をして試験に臨んだのですがこの年は驚くようなサプライズは特になく、ほっとしました。

無難にプランをまとめあげ、製図も順調に練習通りに進めることができました。
矩計図を描き終わり、立面図に取り掛かるころには終了まで50分ほど時間を残していました。

「このままいけば合格できるかも!」とふと心の中で邪念が沸いてしまいました。

チェックが何よりも大切だと先生から口酸っぱく言われていたので、しっかりと最後の最後までチェックの時間を確保しながら試験終了の合図を聞きました。東側の立面図の屋根の形から妙な違和感を覚えましたが、そのときは特別気に留めることもなく無事に終わった開放感に浸りながら会場を出ました。

3年目にして初めて感じた確かな手応えに気をよくした私は、去年は失意で申し込むことのできなかった再現図を申し込むことに決めました。しかし、気をよくしながら再現図を描いている途中に試験中に覚えた違和感の正体に気づいてしまいました。なんと東側の立面図を要求されたのに、2階の屋根の形が南側から見た屋根の形で描いてしまっていたのです。

どうして・・・練習では一度もそんなミスをしたことなかったのに、、、

もう少しで合格できるかも!という邪念が芽生えたせいで集中力が落ちてしまっていたのかもしれませんが、自分自身の詰めの甘さを痛感し、あれほどチェックが大切だといわれていたのに大きなミスを見逃してしまっていた自分への自責の念が押し寄せました。

それでも幸い、それ以外の大きなミスは見つからず、再現図の結果は93点という高得点をいただくことができました。

今年こそは合格できるかも!という期待の中で迎えた合格発表の日。

9時30分の合格発表が待ちきれずに何度もリロードをして、結果を待ちました。

ようやく掲示板にアクセスすることが出来て、愛知県の合格番号の中から自分の番号を探しました。しかし、、、、何度探しても番号がありません。何かの間違いではないかと何度も確認しましたが、私の番号があるべきはずの場所に私の受験番号はありませんでした。

「まただめだった・・・今年で角番だったのに、また合格できなかった。」

不合格を悟った瞬間、頭が真っ白になりました。屋根の間違いという大きなミスをしてしまったとはいえ、プランは自分でも納得できるものが出来たし、先生にも褒めて頂けてそれなりに自信を持っていただけに信じられない気持ちでした。

先生に掲示板で相談すると、屋根の形状だけではそこまで減点は大きくないので、道路以外に、公園に面した敷地境界線に門を設けてしまったことが設計主条件の「安全・防犯に配慮する」という条件に違反してしまっていたため、そこの減点が大きかったのかもしれないということでした。

そうです。東側に公園があるという敷地条件だったため、園児たちが公園に遊びに行きやすいほうがいいのではと余計な深読みをして、公園に面した隣地境界線に出入りの門を設けてしまっていたのです。「防犯に配慮する」という設計主条件があったにも関わらずです。

設計主条件の違反は大きな減点。チェックの重要さと並んで、解題の中でこれも口酸っぱく先生に言われていたことなのに、またしても先生の教えを守ることが出来なかったことが不合格の原因でした。 

角番不合格からの再挑戦 建築士になるという気持ち

今までは比較的早くに気持ちを切り替えることが出来ていたのですが、今回の不合格はいつもの何十倍も心に堪えました。自信があったのに不合格だったということに加え、また学科試験からやり直さなければいけないということがとても辛く、前向きな気持ちにどうしてもなれなかったのです。

自分は、建築士試験に向いてないのではないか、建築士になるのはあきらめたほうがいいのではないかと思うまで心が追い詰められ、自暴自棄になりながら神無先生に相談のメールをしました。

夜遅かったにも関わらず、先生はすぐにメールを返してくれました。

メールの中で、「試験に向いていないなんてことはない。合格する力は十分にあったのに、たまたま不適切な解答をしてしまっただけです。」という旨の言葉をかけていただきました。また、「長年この仕事をしてきたけど、6年目や8年目で合格を勝ち取った人もいる。皆さんに共通しているのは建築士になる。という気持ちを持って、最後まで諦めずにがんばった人たちです。今、すぐに答えを出さなくても、その気持ちさえあれば必ずまた前向きに頑張れる気持ちになる日が来ます。」という言葉を頂きました。

先生からの暖かい言葉に心が救われたと同時に、休みやプライベートを犠牲にしてまで丁寧に教えてくださった先生のご指導にまたしても結果で応えることができなかった自分が悔しくて、頂いた返信を読みながらどんどんと涙が流れてきました。

先生のアドバイスをありがたく受け止め、しばらく一度試験を忘れて休むことにしました。

でも、心の奥底には到底諦めることなんて出来ないという思いがずっとありました。諦めようとするほどにどうしても建築士になりたい。という気持ちが強くなっていきました。

そして、合格発表から約1ヶ月後の年明け、新年と共に心を新たに4年目の再挑戦をすることを決意しました。

やっぱり、建築士になりたい。

先生のおっしゃったとおりその強い思いが折れかけた心を修復してくれました。絶対に今年こそ合格をして、神無先生に合格の報告をする!そう心に決めました。

学科試験からやり直しになってしまいましたが、学科試験と平行しながら前半戦から申し込みをして製図の試験対策もしました。今まで以上に製図表現やゾーニング、動線も含めて先生やほかの受講生の方の参考図面を見ながら積極的に自分の図面に取り入れるようにしました。

前半戦の第3課題では、3年目にして初めて-がつかないAの評価と共に「このプランと製図なら合格レベルです」という神無先生からのありがたいコメントを頂くことが出来ました。

3年間、ずっと足踏みをしているような気持ちになっていた自分には、信頼している神無先生から合格レベルだと褒めてもらえたことがとても嬉しくて、こんなだめな自分でも前に進めているんだと実感できて嬉しかったです。

再挑戦となった7月の学科試験を順調に突破することが出来、いよいよ後半戦に入りました。

令和5年の設計課題は専用住宅でした。

少しでも気になることがあったら積極的に掲示板やメールを利用して、先生に質問をするようにしました。前年の反省を生かして、条件以外の余分なことをしない。チェックの鬼になる。特にこの2点を肝に銘じて取り組みました。

そうして向かえた4年目の製図試験本番の日。

この年も大きなサプライズはなく、順調にエスキースと作図をこなすことができました。

矩計図はあまり描きなれていない土間コンクリートの矩計図だったので、少し自信がない出来になってしまったものの、プランは妥協する部分は上手に妥協しながら、条件には大きく違反しないというまずまずの手ごたえでした。

再現図では昨年よりも若干点数が下がって、85点の結果でしたが合格レベルの点数をいただけたことにひとまず安堵しつつ、一旦試験は忘れて合格発表の日までゆっくりすることにしました。

時は過ぎ、12月7日。前年の大きなトラウマがあったので、今年は合格発表の具体的な日にちは調べないで過ごしていました。期待して駄目だとショックが大きいから結果発表は見ないでハガキで結果を確かめようと思っていたのですが、夕方に来ていた某資格学校からのメールマガジンでどうやら本日が合格発表だったことを知りました。

(できれば知りたくなかったな・・・。)そう思いましたが、発表日だと知ってしまった以上、普通に過ごすことはできません。そわそわする気持ちを抑えながら平静を装い、パソコンでセンターのHPの合格者一覧を開き、おそるおそる番号を確かめました。

(どうせないんだろ・・・)、そんな風に斜に構えた気持ちで番号を見下ろして言ったときに、飛び込んできた思いがけもない数字。合格発表日の日にちは意図的に忘れていても受験番号は何度も何度も心の中で念じて、夢の中でも見てきたから、間違えません。夢にまで見た見覚えのある番号が掲示された番号たちの中にありました。

見間違いかも知れないと思って何度も手元の受験番号と見比べました。それでもまだ信じられずに隣にいた会社の後輩にも番号を一緒に確かめてもらいました。

間違いない!!番号がある・・・!!!!

 

4年目にしてやっと果たすことが出来た悲願の瞬間でした。やっと努力が報われた。

嬉しい以上にほっとした気持ちが勝っていましたが、真っ先に神無先生に合格の報告をしました。

先生からも「今まで長く辛かったと思いますが、最後まで諦めないでよかったですね。心からおめでとうございます。」と祝福の言葉をかけていただきました。

本当にあの時、諦めないで挑戦してよかったと心から思いました。この試験は、採点が公表されておらず不透明な部分も大いにある試験です。

頑張っているのになかなか報われない。そんな気持ちになる瞬間も沢山ありましたが、最後まで諦めずに頑張っていればいつか必ずたどり着けるのだと今はやっと思えます。

ずっとなりたかった建築士のスタート地点にようやく立つことができました。

不出来な私に辛抱強くご指導をして頂き、プランニングの基礎すらわかっていなかった私が合格することが出来たのは、どんなときも熱心に、丁寧に教えてくださった神無先生はじめ最端製図の先生方のおかげです。

また、角番不合格で心が折れそうだったときに温かい言葉で励ましていただいたことも本当に心から感謝していますし、ずっと忘れません。
そして、掲示板でお互いに鼓舞しあった18期生の大切な仲間の皆さんも本当にありがとう。皆さんと一緒に学べてよかったです。最端製図を選んで、最端製図で神無先生や皆さんに出会えて本当によかったです。

神無先生、どうかお体には気をつけてこれからも建築士を志す人たちの道標になってください。本当に今まで長きに渡ってご指導いただき、ありがとうございました。

(2023.12.12 最端製図18期生 HN:まろ)