『のりすけの角番脱出劇』 京都府 のりすけさん
みなさん、こんにちは。 (^-^*)
角番脱出いたしました、 2 ~ 3 期生のりすけです。角番に至るまでの経緯は「不合格体験記 全××話」を
ご覧頂くとして、今年のチャレンジの様子を順に追ってお話ししていきましょう。
最初にお願いです。不合格だった方も、ムカつかずに読んでください!
私も昨年までは負け組みだったのです。 必ず、何かヒントがあると思います…。
時は平成 19 年 12 月初旬、昨年の合格発表日に遡ります。
自己採点で不合格を確信!していましたが、微かな望みをいだいてパソコンの前に座っている私がいました。
クリック、クリック、がーん (  ̄ □  ̄ ;)!! やっぱりない。。。
後日郵送された不合格通知には“ランクⅡ”の文字。 ん?あれでランクⅡ???
不整合箇所いっぱい、カキモレいっぱい、ボロボロの図面でしたが、
“完成させる・主条件を外さない・一発失格項目に引っかからない”
この 3 つを念仏のごとく刷り込まれていたお陰でした。
やってきたことに間違いはない、ツメが甘かっだけ…。
そう確信した私は、再び最端製図のお世話になるべく年末にメールしました。
私:「何したらえぇですか?」
返ってきた返事は驚くべきものでした。
先生: 「はじめるのは、試験の 1 ヶ月くらい前でえぇよ~~」
私:「まだ半年以上ありまっせー、ホンマでっか? w( ゚ o ゚ )w 」
早くから取り掛かかると試験前に息切れするとのやさしい配慮?からと思われましたが、
止められるとやりたくなるのが人間の性というもの。言いつけを聞かず、
過去問のエスキースやったり、子供と遊んだり、酒を飲んだり?して気を紛らわしていました。
結局、何もしとらんのと同じか…。 ヾ ( ーー ) ォィ
そうそう、うちには 2 歳になる双子のチビがいます。
こいつらに試験を邪魔されないようにするのも、今回の重要な試験対策のひとつでした。
幸い、彼らの祖父母は 4 人とも健在。「生命を懸けてがんばります!」などと安物の政治家みたいなことを言って、
肝心な時は預かってもらうことで了解を取り付けました。
声には出しませんが、「ありがとぉ~~」と沈む夕日に向かって叫びたいくらい、本当に感謝してます。
そうこうしているうちに、製図の課題が発表になりました。
今年の課題は「高齢者の集う趣味(絵手紙)室のある二世帯住宅」 予想通り、木造課題でした。
激ムズだった昨年の反省からちょっとは簡単になるとの予想もありましたが、
私は「姉歯事件で問われた建築士の存在意義を、出題側が問題を難しくすることでかわそうとしているような気がして
簡単になることはなぁい!」などとかっこよく、かつ大真面目に予想していました。簡単にいえば、行政の責任転嫁でしょうか。
偉そうに言うだけあってこの予想自体は大正解だったのですが、対応する方向性を間違えたため、本番で泣きをみることになります。
話しを元に戻します。
お約束通り、後半戦からのスタートとなりました。緊張の第 1 課題、エスキースは制限時間内に納まりましたが、
作図がなんと 290 分。おそっ!!! ゚゚ (´O ` )° ゚
「昨年の作図力はいずこへ~~」
作図スピードは完全になくなっていました。遅くなったなどというかわいいレベルではなく、
本番に必要なスピードと比べるとゼロに近いレベルにまで落ちていました。
「これはいかーん!!!」
第3課題までには制限時間内で描けるようになるという目標を立て、昨年の課題にもチャレンジし作図時間の短縮に務めました。
努力の甲斐あって第3課題の頃には、作図はほぼ時間内と以前の実力に、エスキースは「力技を感じます…」
と何とも評価のしようのないコメント頂く程の実力?に戻っていました。
「条件に違反してなかったらいいんだもーん」と半ば開き直っていましたが、
「やっぱり模範解答は伏図も楽やな~」と感心しきりの日々でした。
ここで昨年の失敗を踏まえ、課題~試験を通して貫いた基本方針について書きます。
前半戦をパスし考える暇だけはタップリあったので、今年の試験対策について飲みながら(やっぱり…)
考えました。 ヾ (  ̄ o  ̄ 😉 オイオイ
まず対策を立てるにあたって。この試験の特徴を捉えました。
1 )学科のように、加点方式でないということ。
2 )他がいかに完璧でも、一発失格項目に引っかかれば即退場になってしまうこと。
運転免許の路上試験なんかと似ています。安全確認忘れは軽微な減点ですが、
一方通行逆走とか重大なミスで試験中止になってしまう、そんな試験。そう、実技試験なのです。
その対策として、真面目に考えた方針は下記の通り。
1 )面積は何度も確認する。(最端テンプレート大活躍!)
2 )“時間があれば描くもの”をハッキリさせ、練習段階から実行する。
3 )カキモレを減らすため、描く手順を確立させる。
4 )とにかく時間管理!ストップウォッチで秒単位の管理をする。
5 )“ミスはするもの”を前提に、失敗に気付いた時どのように気持ちになるか、また時計を見ながら冷静に
対応出来るか試しておく。
そして最後に“普段の順序で試験も解答する”と決めました。
ドラゴン桜の受け売りですけど、 何か…?
テキスト読めば書いてありますけど、 何か…?
今年はさらに突っ込んで試験対策に、“敵状視察”を行いました。この業界を牛耳る××学校の生徒に頼んで、
激ムズ問題の見せっこをしました。ややこしくするのに、所要室を増やす方向で問題が作成されていました。
( ちなみに彼は問題やテキストをチラ見て、今年落ちたら来年は最端の世話になると断言していました!
残念ながら合格しちょりましたが…。)
「やっぱり、昨年の問題レベルを意識してるわ~」
そういう印象を持ちましたので、激ムズ対策として“所要室の多い問題”をしっかりこなすことにしました。
今から思えば、対策の方向性がズレていました。
第5課題が終わって、最後の仕上げにシンクロ模試。
昨年は自宅で受験しましたが、今年は休みをとって会場受験にしました。大阪の織田裕二?にもご挨拶♪
アリナミン・アミノバイタル・右肘のサポーター・腰痛バンド・座布団など必要と思われる物、全て持ち込んで
本試験のシュミレーションをしました。余計なこと描いて減点食らいましたが、
今年も合格圏内にいました。ここまでは昨年と同じ、さぁ、本番だぁ~~!
この時点で描いた図面は、昨年から通算 40 枚位になっていました。
「やるべきことはやった…」 昨年も同じようなことを思っていましたが、また今年も同じことを考えていました。
成長しとらんです、ハイ。 (;^_^A アセアセ・・・
続いて試験当日。
勝手知りたくもないのに、よく知ったる龍谷大学。当日は早めに会場に乗り込みました。
他の受験生に威圧感を与えるため、ヒゲ面・草履履きという井出達。
「定規で背中突っ付いたら、しばくぞぉ!」という雰囲気を醸し出しました。
普段は極めて温厚な紳士?なのですが、この時ばかりは東大寺南門の金剛力士像( Wikipedia で調べて下さい)
みたいな顔になっていたかもしれません。
ただし、最端メンバーまでビビらしてはいかんと、筆箱やブラシに「応援メッセージ」を貼り付けて
最端生であることをさりげなくアピールしておいたと加筆しておきます。これホント!
平行定規をセットして、問題が配られるのを待ちます。
注意事項が説明され、問題が配布されます。要求図書と敷地図と延べ面積をチラ見して、問題の難易度を計りました。
この時点では延べ面積の 200 ㎡超でそこそこ難しいだろう、その程度にしか思っていませんでした。
ベルが鳴って試験開始、主条件を読み始めた時にこの問題の難しさに気付きました。
「何が書いてあるか読み取れん…。」
「練習よりも書き込むものが明らかに多い。」
慌ててエスキースに移ろうとする受験生をあざ笑うかのような難解な日本語、床高等の指定など、今までと
ちょっと毛色が違う問題だと直感しました。 ・・・ ( ゚_゚ i) タラー・・・ 「今年のサプライズはこれでっか…。」
“致命的間違いを犯さず、多少の減点覚悟”
方針はすぐ決まりましたが、あまりの条件の多さに焦っている…、いや、完全に舞い上がっていました。
「落ち着け、落ち着け、周りも焦っているはずやー」と自分に言い聞かせ、エスキースを進めました。
初対面の設備にビビって 4 コマの豪邸玄関?にした以外は、建物内部の配置は意外にすんなり納まりました。
しかし予想通り、スロープの長さと幅が確保不可!もう 1 コマ北側にずらして南側の敷地を確保することも
考えたのですが、時間内に終わりそうにないので止めました。(結果的に正解!)
駐輪スペースが足りないので駐車スペースを 100 ㎜縮めたり、玄関を片引戸にしたり、かなり苦しいエスキースでしたが、
チェックしたところ致命的と思われる箇所がなかったのと 60 分経過したので、周囲の様子をうかがいつつ作図に突入しました。
作図の前に何回もコマ数を数えたのは言うまでもありません。
昨年の失敗が脳裏をよぎる…余裕など全くなく、ひたすら練習でインプットした作業を続けていきました。
先に 1 階平面図、 2 階平面図、面積表の順で描きました。植栽や後から書く什器を除いて、
ひとまず完成した風に仕上げます。「主条件、ヨシ!延べ面積、ヨシ!」 現場の安全確認がごとく指差呼称です。
「階段の蹴上げ、ヨシ!」
次に伏図を描きました。後半戦の課題では、この図面の時間短縮に取り組んでいました。
機械的に描ければミスを減らし、かつ時短可能と思われたので、自分で色々工夫してました。
本番では時間優先で柱の印を少し間違えたかもしれませんが、ほかの受験生も同じはず!と開き直っていました。
その次は矩計図。床高を 100 ㎜下げて、 1 階の天井高を 2500 ㎜にしました。
「やーい、引っかからんぞ♪」 いつも通りに描けば減点ですよね。
この時点で残り 25 分くらいだったと思います。
最後に立面図にとりかかりました。いつもは簡単に描けるはずの立面図には、“テラスやスロープや手摺は、
外観で見える場合は記入する”とあります。
「南側接道なんやから、見えるとこに計画するに決まっとるやないかい!」ひとりでツッコミ入れてました。
この時点で、屋外テラスにつながる一番長いスロープをどのように架けるか決めていなかった私は、どうすれば
減点が少ないか悩みます。踊り場を設けると勾配・長さが確保できん。
逆に勾配・長さを確保すれば踊り場がないバンク角のついた?危険なスロープに。 !!( ゚ロ゚屮 ) 屮
主条件にはやたらと「車いす使用者の云々」という文言が出てきて、ここは減点が大きそうな感じがします。
しかし、ゆっくり考えてる暇などありません。
“踊り場を作ると地盤面からの高さを書く必要があるからバンク角のついたスロープでいこう”と直感的というか、
いい加減に判断し描きました。そして、平面図にもそのようにスロープの矢印を追加しました。
(この判断は実はダメだったみたいです。詳しくは先生が解説します。)
立面図が形になった時点で残り 9 分。最終チェックに入りました。
「最終コーナー曲がって、あとはゴールに突っ込むだけや~」
主条件もチェックしようと思いましたが、履き替えコーナーなど未記入のものを残していましたので、
そちらを優先しチェックしながら記入していきました。上から順番にチェックしていったのですが、
車いす置場や移乗台など書き忘れのものが出てくる、出てくる! ダッシュ !≡≡≡ ヘ (*–) ノ
「きゃー、時間がねぇー!」
結局、スロープの勾配・長さ・幅員の記入ができずに、時間切れとなりました。昨年のような無残な敗北感は
ありませんでしたが、あまりの疲労感にしばらくボォーっと脱力していました。
「疲れたぁ~~」
ガス欠寸前、ヨレヨレのゴールでした。 (  ̄ _  ̄ ) ボー
終了後、前出の××資格学校生とプチ反省会をしました。彼は、“スロープの幅員と各要求室の床高を全て
書き漏らした”と嘆いていました。彼の作図力はかなりのレベルだと思っていたので、
ヤツでもやらかしてるのかと少し安心して会場をあとにしました。
数日後、約束していた再現図を描きました。これがまた不安を助長させます。
「あっ、婆さんのベッド書き忘れた。」
「伏図と平面図を付き合わせた記憶がない。」
「テーブルの大きさ、間違えた。」
「うわっ、減点だらけやー!」
自信があったのは、主条件を外していなさそうなとこだけでした。 (  ̄ー ̄;ヒヤリ
ここでアドバイス!再現図を描くことを想定し、肝心なところは必ずチェックし覚えておきましょう。
試験後の精神安定につながります…。
あとは結果を待つばかり…。なのですが、合格発表までの時間が長く、掲示板などで自分の間違いチェック
しまくりです。そんなことしても無駄なのに…ね。
“果報は寝て待て” 昔の人はえぇこと言うな~と独り言を呟き、合格発表を待つことにしました。
こうして、角番脱出の挑戦は終わりました。
この 3 年間を総括すると、
1 年目…試験の内容を理解せず、独学で挑んだ無謀な挑戦
2 年目…最端と出会って、作図技術をマスターした 1 年
3 年目…習得した技術を、いかに本番で表現するかに腐心した 1 年であったといえます。
結果的に合格していた訳ですが、 3 年間の挑戦を通じて感じたことは、「試験の性格を正しく理解して、
対策を立てること」がとても大切だということ。問題が難化傾向にありますので、このことがますます
重要になってくるのではないかと思います。
次に、「作図力は友達」、最後に救ってくれるのは作図のスピードです。
そして何よりも、「絶対諦めない」という強い気持ち、これが一番大事なのかもしれません。
最後にお世話になった神無先生、クリア先生(2期まで)、なお先生、その他諸先生方、協力してくれた家族、
応援頂いた2期生のみなさん、いっしょに頑張った3期生のみなさん、本当にありがとうございました。
(‘-‘*) アリガト ♪ 最端製図は永遠に不滅です!? ( ^ ▽ ^ )/
読者のみなさん、長々とつたない文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
2008.12.9 のりすけ