「テンプレートと一発合格」 GeN
話せば長~くなりますが、少々おつきあいください。
*受験の動機
平成 22 年度 1 級建築施工管理技士の実地試験が終わりほっとしていた頃、
同じ年に義理の妹の旦那が 1 級建築士を一発で合格!体験談を聞いているうちに、
建築士と施工管理技士の学科試験の内容は重複するところが多々あることを知り、
当初は自分も受けてみようかな~って軽い感じで思っていましたが、
時間が経つにつれてテンションも下がってしまい何も無かったかのように月日が過ぎました。
それが、今年の春(平成 24 年)たまたま会社の同僚達との資格試験の会話から建築士の話題となり、
受験用紙の配布時期であることを知り、なんとなく願書を申込みました。
願書が自宅に届いてから、受験するかいろいろ悩みました。
まずは学科の構造力学、 1 級建築施工管理技士受験の際も難しくて無視した科目なのに
2級建築士では6~7問とかなりの出題数。無視のできない難問。
それから万一合格したら、次は未知の製図試験。
このハードルは結構きついと自分の中では思い、高額な受験料、
そして学校に行けば 30 万以上の出費と、最後の最後まで悩み、結論もはっきりしないまま、
とりあえず受験申込最終日ギリギリに受験手続を神戸まで行き済ませました。
*いざ 勉強!
受験申込をしても、まだ気持ちが定まらず、5月の連休にようやくチャレンジすることを決意しました。
そうと決まれば受験対策。まずは勉強の為の情報収集。
受験申込会場で勧誘していた資格学校からいろいろと出題傾向などを聞きまくる。
連休中に書店へ出向き参考書、過去問(年度別と科目別)を購入しました。
それから自分の中では学科合格の鍵を握るのが構造力学だと思い、関連書籍を数冊購入しました。
勉強準備ができたところで、試験までのスケジュールを作成。
1日 30 分~1時間で消化出来るような無理の無いプログラムを組みました。
その日からプログラムに基づき、宅地建物取引主任者や1級建築施工管理技士の受験勉強の時と同じように
1日一問でもいいから過去問を解くようにルール付をし、プログラムと自分のモチベーションとのバランスを
調整しながら毎日、眠い目をこすりながら過去問との格闘が始まりました。
予想していた通り、構造力学の問題が何度チャレンジしても正解率が低く、
モチベーションの維持をするのが大変でした。
そして自分なりに考え、試験までの 50 日、毎日 5 問の問題に取り組むことにしました。
(もちろん同じ問題やよく似た問題も含めてです。)
また建築史のような暗記科目は苦手でしたので、無視することにしました。
これが試験当日冷静さを失う大きなきっかけになるとは、このときは想像もしませんでしたが・・・。
予想問題をして自信を失いたくなかったので、過去問のみで受験に挑みました。
当然過去問の取り組みは 10 年分を 5 回ほど行い、もちろん漠然と解答だけするのではなく、
面倒くさいですが解説も毎回熟読しました。
個人差はあると思いますが、 5 回もすると間違いなく、かなり理解度も上がってきます。
自分の中では過去にチャレンジした資格試験では過去問の制覇は合格に大きな要因になると思います。
「過去問命」って感じですかね。
*受験会場へ
受験会場は自宅から電車で 1 時間程度の場所にある神戸の流通科学大学でした。
会場が近くなるにつれて電車の中の人は半数以上が受験生のように思えました。
そしてそのほとんどの人が自分より20も30も若い人達で、少しその場の空気がきつかった記憶があります。
その気持ちは会場の教室に入るとより高まりました。
『こんなおっさんでも合格できるんやろか?』
少しテンション下がりましたが、自分なりにやるだけのことはやったのだから、
『年齢よりやる気では負けへんでぇ』
『わかってもわからなくても全問解答してやる』『なにがなんでも合格してやる』
と気持ちをポジティブな気持ちにスイッチを入れ替え試験に挑みました。
*完敗
今年から学科試験、図面と出題傾向が難しくなるとは資格学校からも聞いていましたので多少は覚悟していたのですが・・・。
なっ、なんと『建築史』の出題数が1問のはずが、2問出題。
苦手科目として無視した科目、しょっぱなから予想外な展開に出鼻をくじかれ、
冷静さを失い、法令関係の問題も法令集を落ち着いて活用出来ず、時間に余裕もなくギリギリ状態で前半戦終了。
後半戦を放棄して帰ることも考えるほど、戦意喪失。軽く食事をし、気を取り直して、後半戦を戦い抜くことにした。
後半戦まずは構造力学、試験までに250問以上の問題を消化したので少しは自信があったのですが、
中盤で、過去問で見たことのないような問題に遭遇、またしても気が動転。
何とか気を取り直そうと得意科目の施工問題を全問解いて、改めて未知との遭遇問題や計算問題に取り組んだ。
解答用紙を埋めるには埋めたがまったく自信喪失。
完敗。
時間を残して退室、肩を落として試験会場を後にする。
*解答速報
自宅に帰ったら、どっと疲れが出て3時間ほど爆睡する。
完敗とは思いながらも、もしかしたらと思うもう一人の自分がいる。
ネットを開き資格学校で採点を申し込む。しばらくして採点表が戻ってくる。
学科Ⅰ / 14
学科Ⅱ / 14
学科Ⅲ / 15
学科Ⅳ / 21
合計 64 点
結果を見て受験票を丸めてごみ箱に捨ててしまう。
この時、合格は各科目15点以上得点しないと不合格だと思い込んでいました。
(結果的にはその気持が大事だったような気がします。)
*天国と地獄
次の日、ブルーな気持ちで出勤、現場で作業中、 資格学校から電話。
学科の勉強は独学は難しいから是非受講してくれと再三勧誘があったのでいい加減うんざりしていたから、
また昨日の採点結果で来年の受験のための勧誘だと思い、無愛想に電話に出る。
こちらは不合格と思い込み、自分の方から一方的に営業マンに話しをしていると、
なんとなく会話がずれている??
あげくに製図の受講の勧誘。
ますます頭に?が飛び交う。5分ぐらいの会話でようやく自分が合格ラインクリアと聞かされたが、
状況が理解できず電話口で営業の方に『うそちゃうやろな!』と失礼なことまで言ってしまいました。
結局合格基準の認識に誤解があったのでした。
家内に電話で早々に報告しました。
家に帰るなり家内に言われました。
『昨日と今日とまったく別人みたいやね』と。かなり顔がにやけていたそうです。
そりゃそうですよね、不合格と思い、また受験勉強かと思って憂鬱になっていたのに、
そこから解放され次のステップに進める状況、
まさしく自分の中では『昨日と今日』は『天国と地獄』のような大差がありました。
当然昨日すてた受験票を帰宅するや真っ先にゴミ箱から、こっそりとくちゃくちゃになった受験票を拾いました。
火曜日やったらゴミの日でした・・・。
*最端(テンプレート)との出会い
喜んでいるのも束の間、2カ月で製図試験。
せっかく学科が合格したんやから、何が何でも図面も合格したい。
しかし、図面は経験がないので独学は不安だったので、7月3日(火) 資格学校の体験講義も受け、サンプル図面をもらう。
まずはサンプル図面を模写する為に、冒頭に書いた義理の妹の旦那で、2級・1級と一発合格した縁起の良い
「平行定規」を借り、そしてその他用品を揃えて、製図初体験。
所要時間7~8時間。サッシの表現の仕方や断面図、見え掛りなど、それどころか基本の大梁や地中梁、
皆目描き方がわからない。
やはり資格学校へ行かなあかんと再認識しました。
行くべきかすごく悩み、いろんな人にも相談し、 資格学校に行くことに家族会議で決めました。
(学費が高いので・・・。)
7月 5 日(木)には電話にて、仮申込みをする。
7月8日(日)学費を持って受講申し込みすることになる。
テンプレートを使ってサンプル図を描いたのですが、テンプレートがペラペラで持ちにくく何かしっくりしないので
同じテンプレートを2~3枚重ねたぐらいの厚みのテンプレートが欲しくて資格学校の開講までに手に入れたくて、
ネットでいろいろ物色していたら・・・。
なっ、なんと最端のテンプレートを見つけました。
それがまた幸運にも大阪で販売。
7月6日(金)に見つけて翌日直接、最端の教室まで買いに行きました。
そこで運命の出会いとでも言いましょうか、神無先生とお会いしたのでした。
*製図の勉強
7月7日(土)テンプレートを買いに行った時、お忙しい方だということを何も知らない私は、
先生に製図のことや試験のことな ど、いろんな事をお聞きしました。
そして7月8日(日)の「1日講習」のこと「図面の通信添削」があることも知りました。
先生とお話しをしているうちに、 『ここで勉強したら合格出来そうや』 となんとなく思い、
何の迷いもなく、明日の資格学校の申込みを止め 、講習の申込みを即決しました。
次の日講習に参加。
未知の製図。当然エスキースの意味も分からないまま受講。
資格学校から最端に来られた方など再チャレンジ、再々チャレンジの方が受講されているのを知り
『こりゃ一発合格は厳しいかも』と思いながらあっという間に講義終了。
その後、軽く食事会に参加し家路につく。
『目標 試験までに図面30枚 明日からがんばるぞ ! !』。
*スランプ
最端の1日講習を受けた翌日から早速、作図 に取り掛かる。
先生の図面の描き方 DVD も何回も見ました。
最初は普通の速さで見ていたのですが、後半はどこかの英会話の CD じゃないですが1.5倍速程度の早送りで見ました。
これって結構イメージトレーニングで有効的だったような気がします。なんせ未知との遭遇図面ですから・・・。
そして課題等作図の枚数が増えてくるにつれて徐々に6~7時間の所要時間が時間内に納まるようになってきました。
後半戦第1課題 6 時間 13 分 内エスキース 70 分 7/13
後半戦第2課題 5 時間 6 分 内エスキース 64 分 7/21
後半戦第3課題 5 時間 10 分 内エスキース 89 分 7/30
後半戦第4課題 5 時間 15 分 内エスキース 62 分 8/6
後半戦第5課題 4 時間 26 分 内エスキース 60 分 8/14
課題集 A 課題 3 時間 43 分 内エスキース 44 分 8/7
課題種 B 課題 4 時間 29 分 内エスキース 47 分 8/15
課題集 C 課題 4 時間 45 分 内エスキース 61 分 8/20
課題集 D 課題 4 時間 50 分 内エスキース 57 分 8/24
第 6 課題 4 時間 36 分 内エスキース 80 分 8/30
5時間からの短縮はなかなか思うようには行きませんでした。
ただ描けば描くほどテンプレートの重宝さを実感していきました。
せっかく購入した三角定規や市販のテンプレートがほぼ新品のまま状態になっちゃいましたが・・・。
さて目標30枚に向けて、順調に進んでいる中、時間内に納まりだしてくると、
模範的な解題図面を見るたびに自分の中で、『いいプランを描かなあかん』と余計なことを考えだし、
どうかするとエスキースに2時間ぐらいかかり、当然ながら時間内に作図が出来なくなり、少し落ち込んでいた時、
先生から、もう一度解題を最初から読み直すように
(いかに時間内に描き上げるか、またエスキースに時間を掛け過ぎても合格はできないと・・・。)
やや厳しい愛の鞭をいただきました。
おかげで悩みが吹っ切れて、その後は順調に作図を描けるようになり次第に添削図面の赤文字も少なくなってきました。
兎に角、いままで図面など描いたことがなかったので最端の課題以外に市販の図面問題集も購入し、作図しました。
また道路付け等を変更したりして 2 日に 1 枚ペース 調子のいい時は 1 日 2 枚描いた時もありました。
幸い学科の勉強の時と違って、描きだすと目がさえて睡魔に負けることなく、
結果受験までに目標の 30 枚を何とか描くことが出来ました。
これが結構 試験では自信につながったような気がします。
*戦闘準備
さていよいよ試験です。前日は最端の添削でいただいた解題をすべて読み直し、
真っ赤な添削図面も同じ過ちを試験でしないように穴が開くほど見直し、早々に床に就きました。
そして試験当日、会場へは車で行くことにしました。
試験会場は神戸の流通科学大学。2~3駅手前の駅まで車で行き、
コインパーキングに駐車して電車に乗って会場入りしました。
試験開始1時間前になると教室内に入ることが出来、受験者は早々、机に製図版をガムテープで固定し始めた。
私も自作の枕(パタパタ:最端にあったのを参考に作りました。)を使って設置した。
製図版の裏にはラーバーを張りパタパタの角と机の角が接触するとラーバーが凹みしっかり安定出来るようにしたお蔭で
ガムテープを使わなくて済みました。
それより跳ね上げ式の椅子の座面が上がってこないように固定するのにガムテープを使いました。
結構肘が当たって落ち着かないので是非お勧めします。
*戦闘開始
試験官の合図とともに一斉に製図を固定し、いざ問題をしっかり読む作業。そしてエスキース
開始から40分程度で作図に着手。まわりの人達より早めのスタート。
そして順調に断面まで描き上げたところで1時間以上余ったので、外構も少し時間を使い、
問題用紙も2回も読んで確認した。いやっ確認したつもりになっていた。(後程説明します。)
終了時間となり片づけをして、学校の様子を写真に撮り(最端用ですよ。)退室した。
*再現図で『えっ、なんじゃこりゃ !! 』
校内では、あちらこちらで試験の内容について『簡単やった』とか『難しかった』とかいろいろな声が聞こえてきた中で
ちらっと『階段』の単語も聞こえたような気がしましたが、自分なりに完璧図面やったと思い込み、
廻りの会話も雑音程度にしか思っていなかったのだから、当然その時点ではまだ、重大なミスを犯したことに
気づくはずもなく帰路に着いた。
そして家に帰り、夕食後、再現図に取り掛かった。そこで、改めて問題を読んでいると
『えっ、なんじゃこりゃ !! 』
まさしく先生のいう魔物を見てしまったような気がしました。
身体から血の気が引いてしまいました。
なっなんと!問題文に〔建築物には2以上の階段を設けるものとし・・・〕と書いてあった。
『あ″~ 試験中2回も問題を見直ししたのに何で気付かへんかったんや !
気付いていれば、時間的に余裕もあり、十分に修正ができるような図面やったのに・・・。』
まさしく後悔先に立たず。再現図は一応最端に送るには送りましたが、2~3日落ち込みました。
唯一救いは階段が失格要件でなければ、合格の可能性があるとの先生の優しいお言葉。
それだけを祈りながらかすかな望みを捨てきれず12月6日の発表日を待ちました。
*合格発表日
製図試験から発表日までの期間めちゃくちゃ長かったです。
9時過ぎから何回もネットを開き9時半頃ようやくネットに掲載。
兵庫県のエリアを開き、受験票の番号を確認しながら、恐る恐る上からゆっくりとチェックしていく。
すると自分の受験番号があった。
信じられず3回ぐらい見直し、会社の同僚にも確認してもらい、間違いなく合格したことに実感が湧いてきた。
思わず小声で『よっしゃ !! 』ガッツポーズをとってしまいました。
学科の勉強から始まり、未知との戦いといっても過言ではなかった製図に費やしたおよそ200時間
(毎日手帳に記録と管理をしていました。)
その苦労が報われたことで、じわ~っと感動がこみ上げてきて、少し目頭が熱くなったような気がします。
*最後に
受験者も少なく合格率も低い50歳のおっさんですがお蔭で一発合格することが出来ました。
まずは4歳と2歳に満たない幼児、そして妊婦という心身共に夫婦の協力が必要な時に受験勉強に
理解をしてくれた最愛なる妻、そして廻りの人たちのご協力に感謝いたします。
それから子ども達には、遊んであげることも出来ず、時に勉強のストレスで大声で怒鳴ったりして、
本当にごめん。その分これからしっかりと穴埋めさせていただきます。
何事も自分だけの力で成就できるものではないと改めて感じさせられました。本当にありがとう。
そして最後に最端の神無先生をはじめとするスタッフのみなさんに改めてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。