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東京都 Dio さん 二級建築士試験体験談

東京都 Dioさん 二級建築士試験体験談

 

■ 最端との出会い

私と最端との出会いは、 2 級建築士初受験だった昨年の学科試験直後だったでしょうか?

ネットで試験関連のサイトを探しているうちに最端を見つけ、とりあえずメルマガの登録をし、

送られてくるメルマガを毎回流す程度に(すんません)読んでいました。

その時点で私は一般向けの講座がある工業系専門学校の2級製図講座の受講を申込済みだったので、

添削のほうは全く眼中になかったのです(すんません)。

 

さてまもなく始まった全部で9回の講座ですが、初回から課題を解かされ、

製図試験2回目、3回目の方ならまだしも初受験組にはちょっと無理があるように思われました。

まるで小学生に偏微分方程式を解かせるようなものです。

大手ほどではないにしろ決して安くはない受講料を払ったにもかかわらず、

直接アドバイスをもらうのはせいぜい1回に15分程度。課題取り組み中は懸命にエスキースし、

製図するわけですからもちろんじっくり質問することもままならないのは言うまでもありません。

かといって中には合格された方も大勢いらっしゃったのでしょうからあまり文句は言えませんが。

かく言う私も受ける以上は合格を目指して取り組んでいたわけで、

試験直前にはプランの良し悪しはともかく、3回に2回位は時間内に描き上げる事ができるようになり、

淡雪のような期待を胸に秘め試験を迎えました。

 

比較的易しいと言われた課題にもかかわらず、充分な装備を持たずに望んでしまった私にとって現実は大変厳しいもので、

何とか時間内に描きあげはしたものの、不合格を確信するのに余りある手応えの無さと寂寥感のみが師走まで残されたのみ。

そして忘れた頃に迎えた発表の日。

前日錦糸町某所で徹夜の仕事をし、屍のように眠りに落ちていた私の枕元の携帯が不意に鳴りました。

わざわざご丁寧に不合格の第一報を下さったのは、以前どこかで試験の資料と引き替えに受験番号と携帯番号を

教えてしまった某大手資格学校のお兄ちゃんでした。

寝ぼけてなければその日のうちに某大手資格学校に怒鳴り込んだことと思います。

後日無事にランクⅢでの不合格通知が届き、初年度は轟沈という結果をもって終戦致しました。

もうすでに合格は完全に諦めていたので、改めて落ち込むこともありませんでしたが、

来年の再受験を考えた時、金銭的、時間的にも再び学校に通うことはありえない。

とはいっても完全に独学で一から始めて結果を出せる見通しなんかあるわけない。

さぁどうしよう?としばらく途方にくれていました。

 

さて年があけ、惰性のまま引き続き登録していた(すんません)最端からのメルマガの中の

「前半戦通信添削開始」とのお知らせに目が留まり、読み続けるうちにやがて釘付けになりました。

王道と称される製図の講座に通ってまでしても木っ端微塵に叩きのめされたあの2級建築士の製図試験に

再度対峙するに当って、通信添削という方法が果たして本当に有効なのだろうかという疑問が頭をもたげていましたが、

とりあえずカリキュラムや、方針など聞いてみようかいなと思い、問い合わせのメールを送信してみました。

するとどうでしょう。よっぽどタイミングがよかったのか、はたまたパソコンの前に鎮座し続け、仏像のように待ち構えていたのか、

超光速で返信メールが届きました。そのレスポンスの速さ、また言葉の端々から垣間見える、先生の添削に臨む真摯な姿勢に

私の心は瞬時にかんな鷲の爪に捉えられ、今年の方針はあっけなく決まりました。

その日に我が家のCEO(奥様)に、今年こそは!の強い決意をしたためた置手紙

(面と向かって出費のお願いするのに怖気づいたため)をし、後日めでたく前半戦通信添削受講の許可の勅令を賜り、

最端2期生として新たなスタートを切ることになりました。

 

 

■前半戦通信添削はじまる

やがてまもなく木造住宅に関するテキスト、製図用紙、課題などが届きました。

中にはかんな先生、クリア先生の直筆メッセージも入っており、いやが応にも2回目になる製図試験への気持ちは高ぶりました。

こうして 9 月までの長きにわたる戦いの火蓋が切って落とされたのです。

学習の方はまず木造の基本中の基本からはじまります。エスキースコード、ドローイングコードを熟読し理解に努めますが、

次から次へと解らないことのてんこ盛りです。

しかし、先生からの「解らないところは質問してください」との言葉、そしてせっかく前半戦から受けようと決意した意味・・・

「ゆっくり時間をかけてでも基本をみっちり身につけて、一つ一つでもよいから分からないことを潰して行こう。

骨までしゃぶり尽くしてやるぜ!」と思っていたので、解らないことが出てきたら即先生に質問をしまくりました。

何度も同じような質問であったり、しょうもない質問であったり、莫大な量の質問を頻繁に送りつけたりでありましたが、

先生はいやな顔?一つ見せず、丁寧にかつ素早く(この先生はいったいいつ休んでいるのだろうと思うほどに)

一つ一つの質問に答えて下さいました。

人一倍理解に時間のかかる生徒でしたので、イライラなさったこともあるやもしれません。

そうしたことを繰り返しながら順調に前半戦が進んでいきましたが、仕事のスケジュールなどの関係で

3月半ば位から5月一杯位まではしんどい日々が続き、課題の提出期限を過ぎてしまうことも幾度かありました。

しかしそもそも苦労を承知でこの資格に挑もうと決めたのは他ならぬ自分ですし、前半戦からのロケットスタートで貯金をし、

去年の借りを返そうと決めたのも自分です。

受験生の中にはもっとしんどい人がいるはずだと、ややもすれば折れそうになる自分を奮い立たせながら、

前半戦最後のシンクロニ模試まで何とか続けていくことが出来ました。

そして前半戦終盤にはメンバーズサイトのほうで他の添削生の方々や先生方と交流を持つことも出来ました。

みずがめ座でA型でさみしがりやの私には大変心強く、抜群のモイスチャー効果ですさみがちな心を潤すことが出来ました。

 

■ 後半戦通信添削はじまる

さて、後半戦受講のほうも難産の末に無事我が家のCEOに承諾を得、襟を正して再スタートです。

この頃になると次第に作図の方が時間内に収まるようになり始め、楽しくさえ思えるようになったことで製図が苦でなくなってきました。

後に残された最大にして最強かつ永遠のテーマはエスキースです。

実は何を隠そうこの私、4年制の建築学科を卒業しているものの、入学後まもなく建築のセンス皆無と言うことに気付かされ、

以降設計製図の授業はまるでやる気なし、エスキースは毎回どっかの本からパクりまくり、

いわば学校をナメ切った学生さんでしたので、いまだにエスキースはやってもやっても自信を持つことが出来ませぬ。

どんな課題でもエスキースは結局最後の最後まで60分切りは果たせないままでした。

 

8月には参加を絶望視していた講習会を滑り込みで受けることが出来ました。

詳しいレポートはサイトのほうに載せましたが、和やかな中にも緩めな緊張感の中、直接指導を受けられたことは

本当によかったと思います。おかげでお盆休みは1日も取れませんでしたが、動く先生方や添削生の方々と実際にお会いでき、

終生忘れることの出来ない2日間になりました。

 

余談ですが、講習会の2日目の夕方に高校時代の友人Y君から「今日飲みに行こうぜ」とメールがあり

「今日は講習会だからだめ」と返すと、「実は俺こないだ離婚しちゃってさ~」。

「はぁ!?まじかよ。わかった。行くから先に飲んで待ってろ」となり、結局製図道具担いで吉祥寺まで行ってしまいました。

Y君の披露宴では余興で和太鼓を叩いてあげたほどの懇意な御夫婦でしたので、色々考えさせられることの多い出来事でした。

現在彼は気晴らしもかねてフィナンシャルプランナーの資格取得に向けて励んでいるそうで、一安心です。

 

話しが少々横にそれましたが、お盆が明ければもう本番まで残り1ヶ月です。

課題のほうもあと2課題とシンクロニ模試を残すばかりとなりました。

残された時間は鬼門のエスキースと先天的うっかり障害の克服に努めることに心を砕くよう留意しました。

そんな本番まで2週間を切ったある日の夕刻にその「事件」は起きました。

そろそろ帰宅しようかと会社でまどろんでいた頃に不意に携帯がなり、何かと問えばなんと勤める会社の従業員が

現場であわや火事という事態を起こしてしまったとの連絡。急遽埼玉まで車を走らせ処理の為現場に向かい、

帰宅したのはとうに日付が変わっている頃でした。

幸い惨事は免れたものの、その日以降は現場の詳細も把握せぬまま竣工までの残り1週間ほど、代理で私が担当することに

なってしまいました。それまでも決して運の強い人生ではなかったと自覚してはいましたが、

よりによって試験直前に何たることよ!?と、ここまでくると自らの忌まわしい運命を呪わざるを得ません。

三日間ほどは試験勉強も全く出来ませんでしたが、何とか1週間を乗り切り、無事に最後のシンクロニ模試まで受け通すことが出来ました。

と、誠にありえない出来事なども重なり、1週間後に迫った本番を控えても最期まで一抹の不安が消えることはなく、

試験当日を迎えることになりました。

 

 

Dio さんの図面、エスキース用紙、質問ファックスなど。

 


■ いざ製図試験へ

前日は残業の為遅い帰りとなり、持ち物だけ揃え早めに就寝しました。

当日東京はよく晴れ、これから起こる数々の試練など全く予想できない位の良い空模様でした。

会場近くに到着し、試験直前に頂くべく会場前のコンビニでお饅頭を仕入れ、いざ会場入りしました(クリア先生助言採用)。

教室に入ると、ピリピリしたオーラを周囲に撒き散らしながら一心不乱に製図板をセットする人、

マイペースで持参のお弁当をむさぼる人、

真後ろでシャカシャカ音漏らして音楽聴きながら矩計図みなおしているうるせぇ兄ちゃん、

さまざまな人間模様に興味がそそられ、私はお饅頭を頂きお茶をすすりながら、面白いので人々を観察していました。

幸い去年に比べると自分自身の緊張はあまり無いように思われました。

その後起こるパニックの予感など微塵も感じることなく。

 

やがて試験官 2 名が入場。無機質で読経のような試験についての説明があり、まもなく問題用紙と製図用紙が配られました。

「試験官の兄ちゃん2人とも若いから、少しくらい問題用紙じっくり見ていても大丈夫そうだべ?」とタカをくくり、

しばらく用紙の裏からまじまじと問題を眺めていました。

そしてまもなく開始のゴングが鳴り、戦いの火蓋は切って落とされました。

開始前に裏から読んだとおり、こいつはなかなか手ごわそうな問題です。

所要室も多く、条件もかなり多そうです。エスキースはかなり厄介になりそうだと確信するのに多くの時間を要することはありませんでした。

何が何でも完成させるべしと肝に銘じ、いざ難題に立ち向かっておりました。

65分頃経過した頃でしょうか、何とか一通りプランがまとまり、延べ面積その他チェックを行い

(大きな落とし穴があったとはその時点で知る由もありませんでしたが)、

特に大きな問題もなさそうに思われたので、出来上がったプランで作図することに決めました。

この時点で約75分の経過です。

残り時間を考えると作図時間のほうにはそこそこ自信があったのでチェック時間も多少は確保できると踏みました。

この時点で僕は、この2年の長きにわたった戦いに勝利することを確信し、心の中では歓喜の舞を一心不乱に舞っておりました。

あさはかな私は超ノリノリで作図していました。

 

ちょうど平面図に家具を描き込んでいた頃でしょうか、

延べ面積が要求の限度よりちょっと少なめだったことが心のどこかに引っかかっていたのですが、

何の気なしに一度ここで要求室の確認を行いました。

 

すると何ということでしょう!趣味作業室がものの見事に欠落しているではありませぬか!

 

その瞬間全身の毛穴という毛穴がフル開放するほどの恐怖を感じたのはいうまでもありません。

何で製図始める前に気が付かなかったんだろう?!

 

 

でも凍り付いている場合ではない!

もう一度練り直そうと決めた私は再度エスキースをすることになります。

今まで最端で課題をこなしていた中でも無かったような大失態に、落ち着こうにも心は焦るばかりです。

どれくらいの時間を費やしたかは解りませんが、何とかまとまったようです。

果たして再び製図に取り掛かりました。

 

そこからしばらくしたところでまたもや異変に気付かされます。

今度は入れ替わりに多目的室が消えちゃったぢゃないかぁ!やばい。これはまじでやばい。

頭上から酸素マスクが落ちてきています。事態はただならぬ程深刻です。

様々な選択肢が脳裡をよぎります。

このまま突っ走ることはイコール重大欠陥、はいさようならです。

ここからのリカバリーはもう不可能だとさじを投げ退室、これもはいさようならです。

先にも述べましたように、私は昨年の試験に落ちたことでこの1年間を臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の思いで過ごし、

その中で多くの方々にお世話になり、今日この日に雪辱を期してきました。

ですのでギブアップするわけにはいかなかったと言うのがこの時の最も近い感情でしょうか。

そうです。私が取るべき選択は「胴体着陸」です。

ただし、いくら製図に自信ありといえど、恐らく時間的にもいっぱいいっぱいだろうし、

やりなおすならこれが最後のチャンスだろうと、背水の陣で再び取り掛かりました。

もうこの期に及んでは趣味作業室の面積不足などには目をつぶり、

減点覚悟での完成に賭ける事にしました。但し残り時間は尋常でないくらいにタイトです。

各部の表現の省略などは余儀なくされそうです。

そうして描きながらも途中平屋部分の屋根同士が当ってしまうことに気付き、

咄嗟に一方の屋根を片流れにするという機転が利いたのは我ながらファインプレーであったと思います。

立面図はもうほとんどマンガです。屋根の仕上げなど細かいところはハナから諦め、伏せ図に移行します。

時計を見ると残りはわずかに70分くらいでしたでしょうか?

泣きそうな残り時間です。

 

平面が前述の通りの有様ですから、伏せ図を考慮しての計画なんてあったもんではありませんでしたので、

かなり複雑な架構になること必至です。

致し方ないのでそのままイノシシの様に描きまくりました。

もう細かいことは目をつぶります。もうこの頃の私は精も根も尽き果てる寸前です。

伏せ図を終えて残された時間は約40分でした。今まで矩計図の最高タイムは42分くらいでしたが、

ここまで来たら4の5の言っていられません。

見栄えなどは遥か彼方に追い払い、ほとんど放心状態で描いていたことと思います。

きっとはたからみるとただの危ない人に見えたかもしれません。

当然のように後から気付いた抜けなどはあったものの、遂に「矩計図風図面」を描き終えた時、

残された時間は1分30秒程でした。

 

 

当然のようにチェック時間などあるはずもなく、面積表をぎりぎり書き終えたところでゴングが鳴り、

血で血を洗うこの壮絶な戦いに終止符が打たれました。

最期の一滴まで残らず絞りつくした私の体と、憔悴しきった精神は極限状態から遂に解き放たれたのです。

 

 

試験会場を退出し、その後病人さながらの足取りで家路につきますが、

御茶ノ水の駅までの道中で溢れんばかりに次々に浮かび上がるミスの数々。

電車に揺られ最寄り駅についた私は矢も盾もたまらず、

カフェに入って減点箇所の拾い出しをすることにしました。

するとまぁ出るわ出るわ、減点の大噴火。

そのあまりの多さに精神が崩壊してしまった私は良い加減でペンを置き、

今度はネットカフェに篭ります。

 

そこで私は、あたかも不幸続きの人生に絶望し、教祖様にすがっていく信者のごとくかんな先生に泣きつかんばかりに

ネットカフェからメールを送りました。

しばらくするとかんな先生、クリア先生からお返事を頂き、

とりあえず今日はゆっくり休めとのお告げ。

読み終わると、個体維持という本能に逆らうことなくいいかげんお腹もすいてきたので、

公約どおり一人焼肉&久方ぶりのアルコールでちょっとセレブな慰労会(CEO帰省中につき)としゃれ込みましたが、

長期間の禁酒のせいか妙に酒の回りが速く、一日の疲れも相まって帰り道の製図版と製図道具が

普段よりも数段重く肩にのしかかったことは言うまでもありません。

 

掲載された図面が本番で描いた図面です。実際の図面の汚さまで再現することまでは出来ませんでしたが、

再現図に比べ数百倍汚いと考えて頂いてほぼ間違いないことと思います。

 

 

終わりにかえて

2級建築士を目指すに当って、私がたどってきた道のりをかいつまんでお話させていただきました

(オールノンフィクション)。来年は角番として引き続きお世話になる可能性も否定できませんが・・・まぁそのときはその時です。

決して最端は製図試験に合格するための魔法のような方法を教えてくれるわけではありません。

少なからぬ努力と苦労は避けて通ることは出来ないでしょう。

では私が最端で指導を受け、この試験に臨んで良かったと思うことは何かと問われれば、

それはこの試験に合格する為に必要な知識と技能、更に言えば不必要なことをも的確に効率よくアドバイスできるノウハウの蓄積と、

それらを一人一人の添削生と同じ目線で、愚直なまでに惜しみなく注ぎ続けるスタンス、その点に尽きると思います。

そんな生き方は私の目にとてもかっこよく映りましたよ、かんな先生。

以前何かの本で、「師匠と呼べる人を持ちなさい」と言うようなことが書いてありました。

私にも仕事上のお付き合いをさせていただいている方の中に、勝手に師匠と決め付けて押しかけ弟子にさせていただいてる方が

いらっしゃるのですが、幸せなことにこの最端でもそんな風に「師匠」と呼ぶに値する先生方に出会うことが出来たと思っています

(これも押しかけ?)。

学生時代に建築と正面から向き合うことを自ら放棄し、もう縁のないと思っていた「建築士」という資格。

10年以上の歳月を経た今こうして2級建築士に挑み、最端でお世話になったお陰で、遅まきながら改めて基礎中の基礎から

勉強し直すことが出来ました。

当初考えていたよりもはるかに強い、通信添削に賭ける先生方の熱意と情熱は、随所に垣間見える「採算度外視?」

とも思いまがうかのような滅私奉公の精神などから、余すところなくこちらに伝わってまいりました。

建築士の製図試験に関してはまだまだその認知度が決して高いとはいえない(と思う)通信添削ですが、

受ける側の取り組み方次第では遠くない将来このスタイルがよりメジャーになっていく可能性を秘めているとさえ思います。

そしてメンバーズサイトでは同じ添削生の皆さんから沢山のパワーを頂きましたこと、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

皆さんよくも幾多のしょうもない話しや自己満企画などにお付き合い下さいました。なかなか顔の見えないお付き合いでしたが、

同期生同士少しでも繋がりをもてたこと、同じ時間を共有できたことはこの上ない喜びであり、自分自身のモチベーション高揚にも

大きくその役を担いました。心より感謝いたします。

 

それでは以上をもちまして、私の2級建築士製図試験体験談を締めくくらせていただきます。