「心が通う通信講座」 H・J
○受験のきっかけ
23歳で宅建取得後、不動産業と住宅建築業を営む工務店に就職し、30代で離婚、3人の子を持つシングルマザーとなり子育てと仕事のバランスを取りながら何とかこなす毎日。
気がつくと44歳になっていました。
高校生になった子供たちが巣立っていく近い将来を考えると、これからはもっともっと仕事に邁進したいと思ったのと、時代の流れでZEH、省エネなど住宅の進化についていかなくては、と感じたのが二級建築士を目指し始めたきっかけです。
○学科挑戦から角番まで
学科の勉強は独学でひたすら過去問を何周もこなし、2年目で合格。
製図対策は、まだ子供にお金がかかるので資格学校に通う余裕はなく、色々調べた中でリーズナブルで評判も良かった最端製図さんに申し込むことにしました。
しかし、いざ製図を始めてみると木造の作図量の多さ、覚えることの多いこと!
1枚描くのにとんでもなく時間がかかるのです。それなのにA型人間ゆえ?「優れたエスキース」「キレイな図面」を目指してしまい、作図時間が縮まらない。
そんな状態で課題をこなすだけで精一杯の状態で、1年目受けるも完図できず玉砕。ランクⅣ。
2年目も木造、梁伏図に悩まされ、完図は出来たもののボロボロで手応えなし。ランクⅢ。
いよいよ角番の今年は、RC造でしたが、まったく知識がなく最端製図の前半戦から申込み、焦りのあまり他社の通信講座も受講することとしました。
○あらためて実感した最端製図のすごさ
6月の課題発表までは、RC造の基礎学習、図面の書き方や要求される図面の把握などで、両方の課題をこなしていました。
しかし同じ通信講座でも受けてみてまったく違いがあり、あらためて最端製図のすごさを実感することとなりました。
添削 … 他社の添削は難解で何を言われているのかさっぱり理解できず、指摘事項ばかりで見るのも辛いぐらいですが、最端の先生は一言一句わかりやすく、伝わるように気を付けてくれていて、何か一つは褒めるところを見つけてくれました。
指摘事項 … 他社はダメな箇所に対して「これではダメです!」だけで、なぜダメなのかは自分で考えなければなりませんが一人だと行き詰ってしまいます。最端製図の添削では、こうすれば良いですよ、この方がベターですよ、と実際に改善案を描いて返却してくれ、すぐに身につけることができました。
添削図面の返却も、提出してから手元に戻ってくるまでが数日以内というスピーディさで、次の課題に移るまでのロスタイムがほとんど生じません。
先生が描いてくれる模範解答図面もきれいでわかりやすく、ファイリングして学習中いつでも見れるようにしていました。
それから受講生が参加できる掲示板の存在も大きかったです。私は掲示板で質問することが苦手でしたが、皆さんが質問をして先生が答えている内容がとても参考になったので、掲示板で仕入れた知識を片っ端からメモしていました。実際に本番当日で描いた部分詳細図はこの掲示板でどなたかが投稿されていた質問と先生の回答が記憶に残っていて迷うことなく描けたのです。
本番の1か月くらい前からは次々送られてくる他社の課題は見合わせて、最端製図の練習問題をできるかぎり提出して添削してもらいました。
今年、合格できたのは他社と平行したことで例年より描いた図面の数は多かったことも一つの要因だと思いますが、必要な情報や知識を自分の中でふるいにかけられたことが良かったと思います。
そのふるいに残っていたのは、ほとんどが最端製図での教えでした。
○いよいよ本番当日
末娘も車を運転できる年齢になり、試験会場の近くまで送ってくれることになりました。
でも角番のプレッシャーが大きく、行きの道中でも「このまま受けていいんだろうか?
今年もダメだったら…?」と襲ってくる不安。
今から足を踏み入れる会場も、もう3年目。
まわりは自分の息子や娘のような年代がほとんどの中で老眼鏡をかけて(今年はハズキルーペも駆使)
戦う怖さに逃げ出したい気持ちでいっぱいでしたが、何とか席につき、5時間の試験が始まりました。
いままで課題に取り組んできた中で、どうしても苦手だったのが吹き抜けと屋外階段でした。
しかし問題文を読むと、
どちらも要求されていない!
おまけに2階建!作図量が3階建ほどは多くない!
これはチャンスだ!と喜んだのも束の間、いつもなら問題文を読みながらできるプランニングのイメージが全然湧いてこないのです。
仕方なく、事務的に要求されているものを並べていきましたが、過去一番しょうもないプランになった気がしました。
エスキースまでで1時間ちょっとかかり平面図に取り掛かるも、さっきの「チャンスだ!」が逆にプレッシャーになって手が震え、いつものように進みません。
平面図が8割方描けたところで、なんと!試験時間は残り1時間でした。
まだ立面図も断面図も部分詳細図も計画の要点も書けてない…
またダメか…と諦めかけたとき、ふっと浮かんできたのです。
最終課題返却に書かれていた先生方のメッセージが。
「全身全霊を込めて最後となる1枚を描き上げてきてください」
「持てる力をすべて出し切って描き上げてきてください」
今ここで諦めたら先生方に顔向けができない!何としてでも描き上げなくては!と残り1時間に天命をかけて無我夢中で手を動かしました。
あんなに「キレイに」とこだわっていたのに、字はぐちゃぐちゃ。だけどヨシとする!
寸法線も2面しか書けない!だけどヨシとする!
とにかく、とにかく、描き切るんだ!
50分ほどで立面図、断面図、部分詳細図、計画の要点、面積表も仕上げ、残りの10分で見直ししながら少し修正、書き足し、試験終了の瞬間を迎えました。
シャープペンを置いてやっと満足に呼吸ができた感じがします。
しばらくは心臓がドキドキして脳が痺れているみたいでした。
(高血圧ではないのが救いです)
描き上げた図面もまったく手応えはありませんが、描き上げたことに心底ほっとしました
○再現図の提出
試験後、数日間は放心状態で製図板の前に座ることもできませんでした。
再現図を提出して、不合格間違いなしだったらどうしよう?
重大なミスに気づいてしまったら?
でも合否の発表まで3ヶ月近くある…
最後の1枚、自分の力は出し切ったのだから先生に最後の添削してもらおう、と3年目にして初めて再現図を描きました。
採点の結果は78点。赤ペンで
「大丈夫でしょう」
と書いてくれてある!
本当に?
しばらく信じられませんでしたが、嬉しくて子供たちに報告しました。
○合格発表
インターネットで受験地の合格者番号を開くと、
え!すごく少ない!あんな大勢の人が受験会場にいたのに?
悪い予感がしつつも、自分の受験番号を探すと見つけたのです。合格していました。
もう本当に嬉しかった!感無量とはこのことです。
○建築士試験を振り返って
3回の製図受験で感じたことは、最端の先生からもよく聞いていましたが「完璧を目指す必要はない」ということ。
もちろん手を抜くということではなく、条件を読むのもエスキースも一生懸命やるけど、こだわりを捨てる、妥協する=自己満足を目指さない。
自分がイマイチ気に入らないエスキースでも、全然気に入らないエスキースでも、設計条件をクリアして求められたものが描いてあれば減点は少なくなる、ということです。
この戦略こそが、私を合格に導いてくれました。
学科試験からの4年間、ずっと捉われている思いがありました。
それは例えると、登っても登っても頂上の見えない山に登り始めてしまった感覚です。
自分が登ろうとしている山は、私の力では到底登頂できない高い山なのではないか?
もっと若い時なら登れたのかもしれないけど、この年齢では無謀な挑戦だったのではないか?
という自問自答が試験が終わる瞬間まで続いていました。
でも登っているのは自分だけではなく、同じ頂上を目指してたくさんの最端生が全国から登っているのです。同じくらいの年齢の仲間も掲示板でお見掛けして心強かったです。
それに、ただ やみくもに道を進むのではなく、最端製図の先生方が姿は見えないけど行くべき道を照らしてくれています。信じて努力していけば必ず頂上に立つことができます。
これからも多くの最端生が合格を勝ち取れますように。
最後に、共に戦ってくださった神無先生はじめ先生方、スタッフの皆様、
それから第19期最端生の皆様に心からお礼を申し上げます。
ありがとうございました。