はる 「二級建築士試験 合格体験記」
私は29歳から建築の専門学校に通い、卒業後、設計職に就きました。
H25年、初めて受験しましたが、学科不合格。
次の年も不合格。
どうしていいか分からない時、たまたま最端生の合格体験記を読んで、最端製図の存在を知りました。
そこで学科クラブに入り、メールをくれた神無先生に自分の弱さを吐き出しました。
それでもH27年の学科で不合格になり、自分に勝てない自分に泣き崩れました。
来年は必ずリベンジをという神無先生の言葉はずっと自分の中に忘れることありませんでした。
そして、H28年に向けて必死に勉強しました。
試験が近づくにつれて、不安も増してきて、泣きそうになりながら、過去問とテキストをとにかく勉強し、学科を突破できました。
その後は初めての製図で、添削講座に入り、まずはエスキースコードをとにかく読んで、
本格的に図面を描いたのは8月に入ってからでした。
どこかで、製図は来年にしようか…なんて考えていました。
でも、そんなとき必ずリベンジを果たすという言葉を思い出し、とにかく必死に描きました。
最初は9時間近くかかって図面を完成し、それでも最初の1枚までは楽しく感じました。
でも2枚目からは、ちゃんと描けない自分にまた泣きそうになり、製図板の前で泣きながら描いたこともありました。
先生の添削を何度も復習し、模擬試験では合格ラインには届かず、試験までとにかく復習を重ねました。
真っ赤になった図面を見て、一つ一つ何度も復習し、
新しく図面を描くより復習のほうが多かったと思います。
先生方の、最後の添削のメッセージにまた泣いて、私はこのメッセージを携帯で撮って、試験直前に頭に叩き込みました。
通信講座ですが、一緒に戦ってる最端生がいるんだと思えました。
これが最端製図なんだと思います。
試験が開始し、落ち着くこと、絶対に諦めないこと、頭で唱えながら、エスキス1時間を守って進めていきました。
この時の集中力は、今では自分でもびっくりするくらいだと思います。
この集中力のおかげで、残り1時間前に図面を完成し、1時間かけてチェックしました。
きっとこの1時間のチェックがなければ不合格だったと思います。
何度も先生が伝えてくれたチェックの大切さを感じました。
試験終了後、疲労と同時にやりきれた自分がいました。
その代償に手が腱鞘炎で動かすことが出来ず、再現図も描けない状態でした。
色々なミスが頭に浮かびましたが、とにかく結果まで何も考えずにいようと思いました。
合格発表当日、緊張と不安で吐きそうになりながら、自分の番号を見つけた時、涙が溢れました。
色々な人に学校に行くよう勧められました。
でもそれはどうしても嫌だった。
自分にどうしても負けたくなかったんです。
神無先生、最端製図の皆さん、そして私を支えてくれた周りの人に感謝しかありません。
1人では絶対に出来なかったことです。
4回目の挑戦での合格でしたが、私にはこの時間が必要だったんだと思っています。
合格したことはもちろん嬉しかったです。
でも、周りの人が喜んでくれたことが、一番嬉しかった。
先生方が添削してくれた図面、沢山の資料、一生捨てることはないと思います。
私の大切な時間の一部がこの図面に刻まれています。
二級建築士として、苦しいことも辛いことも起きると思います。
でもそんな時、この時の図面を見て、今感じていることを思えれば、きっと乗り越えられる気がします。
ありきたりかもしれませんが、
絶対に諦めないこと、この言葉がこの試験には必要不可欠です。
学科、製図どちらも、絶対諦めない、そう頭で繰り返しながら試験に臨みました。
それを教えてくれたのも神無先生です。
二級建築士として恥じないよう日々頑張ります。
最端製図は本当に最高です!
ペンネーム : はる