体験談 PR

「やっと最端卒業生」 cyan

「やっと最端卒業生」 cyan

独学2年、学科クラブ2年、製図3年と計6年にわたり受験生活を過ごしてきました。
製図ではHNみかん(未完)→すだち(巣立ち)→cyan(思案)と変えつつ迷走してきました。
その間年齢は50代に突入し、体力的にも苦しくなってきましたが今回ようやくハレの日を迎えることができました。
そんなわたくしの合格までの体験記(反省記)少しの間お付き合いください。

いろいろな職業からこの資格を目指す人がいると思いますがまずはわたくし、学生時代は
建築とは無関係のまま特殊消火設備の会社で設備設計に携わり、ここで手描き図面を経験。
次は小さな事務所で空調設備等の施工図をCADで描いていました。
現在は設備工事会社で消火の設備設計をやっております。
建設業の中では地味な設備関係を一貫して経験しており建築は憧れの分野でした。
実務に即した資格は取得しており、二級建築士を持っていればカッコいいなぁ…という
甘い考えで受験生活はスタートしました。

まず、学科でつまずく。これまでの資格試験の経験を活かせず。
製図なんて遠い夢かも…と挫けそうになりながら、それでも点数はもう少し、というところ。
学科クラブのお陰でなんとかクリア。
歳を言い訳にしたくないものの年々根気がなくなり当時40代には辛い試験でした。

さて、待望の製図試験!
1年目、度胸試しの感覚で受験。今思えば、チェックも甘く、伏図の理解もあやふやなままランクⅡ。
でもいいや、来年が本番!

2年目、前半戦からみっちり作図。カド番だけは避けたい。しかしまたもやランクⅡ。

3年目 ようやく省みることになりました。これまでの学科の2?3点足らず、製図のランクⅡ続き。
わたくしに何が欠けていたのかを。
真剣に取り組んでいるつもりでもどこかに「生活のすべてを試験一色にしたくない」
「楽しく勉強したい」「なるべく最短(最端?)で合格したい」との甘えがあり
「資格学校で若い人と机を並べるのは恥ずかしい」「周りの人にバレたら落ちた時恥ずかしい」
とこっそり逃げ道を作っていたのです。

これらを払拭すべくカド番の今回掲げたのは「愚直になる」
もっと自分を追い込むことにしました。

まず、当日の緊張感。これを克服すべく自治体の講習会に参加、最端と並行して勉強。
模擬試験に参加される方もいらっしゃいますが、雰囲気に慣れるにはとても良い経験だと思います。
わたくしも講習会で多人数での作図に度胸がつきました。
次に27年度の作品集をA4に製本しテキストとして見ていました。
作図に疲れた時、就寝前に寝床で見ていたり。ここで合格する図面はどういうものかよく理解できました。
先生のコメントで減点できるものならやってみろ、というほどチェックされた図面を何度も見返しました。
プランはシンプルで見やすく、減点しようのない図面でした。
仕事柄、設計図は原設計として全幅の信頼を寄せてこれを元に仕事を進めているのですが、
そこか!設計者は間違いがあってはならないのか。この試験は、建築士にはミスがあってはならない、そこも含めた試験。
受験生のレベルは僅差、でも半分は合格。どこで差をつけるのか。最後はチェックによる間違い探し。
「減点されない図面」これが合格する図面なのかと。

当日、竪穴防火区画!延焼のおそれのある部分!これがサプライズかー。
これは多数の人がわからないはず、そうすると細かな減点が合否に影響する、と思いプランはシンプルに。
チェック時間は1時間とりました。

愚直に愚直に愚直に、何回も何回も何回も見直し。
時間になり提出、終了?

合格発表までなが?い日々でした。
再現図の点数は良かったものの、そこは相対試験。みんなの出来が良ければ僅差で落ちることもあるのだと。
発表日ひとりネットで自分の番号を何度も確認、やっと…という言葉しか出てきませんでした。
今更受験宣言もできず知っていた周りの数人のささやかな祝福。
でも自分自身の自信の持ち方は変わりました。これからは憶する事なく仕事にも取り組むことができるでしょう。

実はネットで最端製図のアットホームな雰囲気は知っていたので、最端生になるのは受験前から決めていました。
大変お世話になりました。
掲示板でも3期に渡り同期生の頑張りに励まされました。ありがとうございました。
神無先生、厳しくも優しいご指導ありがとうございました。

辛い時もありましたが最後に思うのは、
やっぱり製図は楽しいものです。
受験して本当に良かったです。

ありがとうございました!