『 ” 合格する!という気持ち ” に導いてくれた最端製図』 TAKA
自分が建築士を目指したのは 34 才でした。
システム会社を退職し、夕方まで設計事務所にパートで図面、アシスタントをし、
18-21 時までは夜間の建築専門学校に二年間通学し、二級建築士の受験資格を得ました。
一年目は学科は資格学校の二ヶ月集中講座と、最端製図の学科クラブを併用して勉強しましたが、
本番で悪魔に出会い、計画があと一点で足切りにあい終了しました。
二年目、学科は一年目のものを利用し、何とか合格!
後半戦から最端製図にお世話になりました。
学校や仕事で図面を描いていたので少し余裕はあるつもりで臨みましたが、
毎回真っ赤に添削された図面が返却されました。
特に配点にあまり影響のない意匠にこだわり、構造はメチャクチャ…泣。
先生にいつも、もっとシンプルに!問題見落とし!チェック!と指導を受けていました。
そのころ、自身が体調不良に陥り、病気扱いで別室で受験しましたが
パニックになりながら何とか完成したものの、その後倒れ数ヶ月入院しました。
12 月の合格発表、予想はしてましたが HP に自分の番号がなく、
来年は体調を治し合格したい!と強く思い、病室から神無先生にすぐメールを打ちました。
『先生、来年の夏福岡に講習会に来てください!絶対次は受かりたい!』
しばらくして先生から『やりましょう!福岡!』とメールが届き、
先生にポン!と肩を叩かれたようで凄く嬉しかったです。
三年目も後半戦から参加しました。
相変わらず図面は赤ペンビッシリで返却されます、 A 評価も一回しか取れませんでした。
そんな中、七月の中旬に神無先生が講習会に来てくださいました。
初めてお会いする感じはしなかったです。
講習内容は目からウロコが何枚も落ちました。
そこを知っているかどうかでエスキースの時間が大幅に短縮でき、
チェックも少しだけ出来るようになりました。
最後の 10 日間位は、仕事が休みの時はレンタル学習室に 10 時間位篭り、二枚作図を目標にしていました。
大阪近郊の最端生は、事務所を開放して恵まれた環境なので羨ましいです。
神無先生情報だとあまり利用されてないそうで、、、勿体無い!利用しましょう!
製図の本番は、最後 10 分位チェックする時間もあり、手応えも感じました。
帰宅し最端製図の HP を見るまでは、、、、。
” 階段が二箇所 ” 。。。。最初は、何の事ですか?と意味判らず。
問題用紙を見て顔面蒼白。。。屋外階段見落としてる?!!!
もう無気力で、申し込んでいた再現図も描き始めると涙がこぼれ落ち、
結局一階までしか描けず提出出来ませんでした。
12/6 合格発表日、諦めながらも HP を見ると何故か私の番号があり、暫く不思議で仕方なかった。
ハガキが来てようやく合格したんだと実感しました。
34 才で建築士を目指し 39 才で合格できました。本当に最端製図、神無先生のおかげです。
メールするとすぐあの淡々とした ( 笑 ) 返しが来ます。
遠い大阪なのに、すぐ後ろにいるみたいです。
先生のメールがいっぱい私の肩をポン!と叩いてくれました。
最端製図の先生方、本当にありがとうございました!
これから建築士を目指す方へ
最端製図は、あなたが頑張ることを全力で応援してくれるところです。
” 合格するきもち ” を大切に!頑張って下さい!
福岡の方…神無先生が呼ばなくても、頼りない OB として懇親会の席に毎回伺いますよ♪