私は大学の建築学科を卒業後、都内の設計事務所で丁稚奉公のように働いていましたが、仕事も人間関係も上手くいかない状況が続きました。現在は新型コロナウイルスの発生をきっかけに、都内を離れ地元の福島県で全く別の業種で働いています。
最近、モチベーションが復活してきて、多少の望みをかけて、もう一度やってみようと思いました。

日記を付けているため、建築士試験に関係する日記を抜粋し、編集しました。
2024年は二級建築士を受験し学科は合格し、製図は不合格、2025年は一・二級建築士の試験を同時に受験し、一級は学科で不合格、二級の製図は2回目で合格しました。ここでは二級建築士を中心に製図試験合格に至るまでのルポルタージュとしてご笑覧ください。

2024年7月7日 二級建築士学科試験
5時30分ごろ起床。昨夜は21時30分には就床したのでよく眠れた。
ラジオ体操をした後、朝食を食べる。
電車で試験会場になっている福島県郡山市にある日本大学に向かう。電車内や試験会場へ向かうバスの中ではずっとアプリで勉強する。試験直前にアプリで復習できたのは、とても便利だった。本を開くより、問題をサクサク解ける。
8時15分ごろに試験会場に到着する。
会場は8時45分に開くため、近くの木陰のベンチで勉強する。しっかり芝刈りがされておりとても心地良い場所だった。近くのグラウンドでは高校野球の練習試合が始まっていた。部員たちが気合いを入れるために円陣を組んでいる。
そうこうしているうちに会場が開く。試験時間前までずっと復習。

17時10分に終了。頭を使いすぎて、ひどくくたびれる。頭の真ん中が疲労しているのか少し痛いし、暑い。
大学を出る途中、同じ試験会場にいた若い女性と男性2人が仲良く歩いていた。何かの仲間だろうか。大学構内にある日本大学がつくった曲線形状の屋根の研究所を見つける。屋根が緑化しており、それを見た男性が「田んぼみたいだ」と言った。
その後、女性が「どうやって稲刈りすんだでぇ」と東北弁で突っ込んで3人で笑っていた。

郡山駅に戻りカフェで自己採点する。学科Ⅰ、Ⅱは20点、学科Ⅲが18点、学科Ⅳが20点なので合計78点。合格点ラインより18点上だった。一気に安堵し、背もたれに寄りかかる。

——私はそこから〇〇学院の製図試験用のテキストを使い製図試験の勉強をして試験に挑みました。

2024年9月15日 二級建築士製図試験
昨夜は21時に就寝する。今朝の6時ごろに起きる。
電車で福島大学に向かう。大学構内が広く、どこの教室でやっているか分からなかったが、とりあえず事務局のある方向に進む。途中、黒い服を着た製図板を持った受験生がタバコを吸っていた。大学構内は禁煙のはず。幸先の悪さを感じる。
大学構内は草が伸びきっていて周辺にある森に飲み込まれそうなキャンパスだった。
事務局方面に来ると人だかりが見える。近くに寄ると試験場の講義室を見つける。
開場する10時直前だったためすぐ入れる。講義室に入った第一印象は机の幅がかなり小さかったことだった。製図板よりも狭かったため、低い角度の枕を使ってようやく収まった。滑り止めシートを持ってくればよかった。
ショルダーバッグを持っている受験生が私に話しかけてきて、後ろの席の番号を教えて欲しいと言われたので教える。席が窓際にあって、通路も狭いため番号が見えなかったのだろう。

11時試験開始。いつも練習で解いていた3階建てではなく2階建てが出題される。予想外の出来事にエスキースで焦り、一部、柱の記入を忘れてしまう。完図はできたが致命的なミスだった。16時に終了。

出入り口を出ると雨が降ってきていた。突然「父ちゃん!」と大きな声が聞こえた。40代くらいの凛々しい女性を、70代くらいのおじいちゃんが傘を持って待っていた。
試験後の出入り口は、まるで駅の改札口のようで、今までずっと独りで勉強をしていた人たちの長い旅の終わりを感じる。傘がないので製図板を頭に乗せ駅まで移動する。

駅で待ち合わせしていた家族の待つ車に乗る。カーナビの相撲中継で若隆景の取り組みを見る。翠富士に押し勝つ。若隆景は私と同世代だ。少しだけ元気をもらう。夕飯を食べる気力がなくなっていたが、セブンイレブンでパスタを買いなんとか食べる。

9月24日
ネットで再現図の採点を「最端製図.com」で行っていることを知り、図面を送る。改めて構造の計画で不安になり、寝る前や通勤の運転中に後悔してため息が多くなる。

9月28日
帰宅するとレターパックが届いている。最端製図から添削が返ってきていた。点数は60点だった。平均点は75点。この前メールで「60点台でも合格する人はいます」と最端製図から来ていたが、落ちた気配がする。もう今年は諦めようか。

12月5日 二級建築士合格発表日
今朝は緊張のためか少し早めに目が覚めてしまう。
動悸が速い。そのまま出勤。勤務中は仕事に集中できなかった。いつも通りの仕事なのに景色が違って見えた。一人になりたくなり、お昼に車の中で結果を見る。受験番号がどこにも無かった。
家族にLINEで連絡する。「また来年頑張れ」と言われる。
帰宅後、再現図を採点してくれた最端製図に翌年の今後の一・二級建築士試験の相談の連絡をする。すぐ神無先生から返信が来て二級の学科試験は合格しているため、一級の学科と二級の製図の同時進行を勧められる。
来年は最端製図で二級の製図の練習をして、独学で学科の一級もやってやろう。

2025年1月8日
最端製図.comから製図用具一式が届く。オリジナルのキットカットに「建築士になる」と書いてある。今年は懸命に建築士の試験に励んでいこうと気力が湧いてくる。食べ終わった後、空箱に画鋲を刺し壁に掲げる。

—— 私はここで試験に向けての作戦を練ることにしました。時間も限られているため具体的に以下のことをしました。

  • 12か月分がA2サイズに収まったカレンダーを買い、そこに1か月ごとに勉強の予定を書き込む。
  • スマホに「Studyplus」というアプリをダウンロードし勉強時間を見える化する。
  • 勉強が煮詰まってきたら公民館などの自習室に行き環境を変えて勉強する。
  • 朝、早起きして頭の冴えている時間に計算問題や製図などアウトプット系の問題を解くようにする。
  • 製図試験の間違ったところはスプレッドシートでまとめる。

特に2級建築士の勉強については、わからなくなったら、とにかくテキストを見ることにしていました。昨年はわからなくなったら解答をトレースしてしまう傾向があったので、これを踏まえて時間がかかってもいいので自分で解くようにしました。

3月23日
一級建築士の令和6年の学科試験の過去問を解く。
計画13/20、環境・設備 11/20、法規19/30、構造15/30、施工12/25、合計70/125。
計画と環境・設備、法規は合格点をクリアできているが、構造と設備は各1点合格点に足りていなかった。これらを踏まえ神無先生に勉強のことやスケジュールのことなど相談のメールを送る。

4月5日
昨夜に神無先生からメールがあり、前半戦は最低限済ませ、一級建築士の学科に全力を注ぐようにアドバイスをもらう。今の過去問の点数だと十分射程圏内だが、安心はできない。後半戦の課題の締め切りも免除してくれるそうだ。後でお礼のメールを送る。

7月27日 一級建築士学科試験
とても疲れる。自己採点したところ計画12点、環境・設備13点、法規25点、構造17点、施工16点、合計83点。合格点は88点なので5点足りていなかった。

7月30日
神無先生にメールのやり取りをする。特に悪い科目はないが全体的な底上げが必要だと言われる。法規の25点はよくできている。ただ年々受験生のレベルも上がってきているので油断はしないようにと言われる。加えて、少しアドバンテージができたので、一級の製図もできる範囲で取り組めるのではとアドバイスをもらう。
そして、二級建築士の製図を確実に取ることを約束する。来年一級に合格できるように、今年二級をとって弾みをつけるように言われる。神無先生のポジティブな言葉にモチベーションが戻ってくる。

8月11日
最端製図の掲示板に、「遅れてしまいましたが不撓不屈で合格しに行きます」と書き込むと神無先生が「貴乃花が横綱に昇進した時に、不撓不屈の精神でと仰っていたのが思い出されます」とコメントをいただく。貴乃花がそんなことを言っていたとは知らなかった。さすが全てガチンコの貴乃花だなと思った。

9月15日 二級建築士製図試験(2回目)
電車に乗り郡山市へ。今年は製図試験の試験会場が変わり日本大学になった。試験開始の2時間前の9時に到着する。試験官に「早いですね」と言われる。自分の座席を確認しようとすると、座席確認表に「学科」と書かれており、そのことを試験官に話すと慌てて修正していた。

出入り口のポーチの階段に腰をかけて『最端エスキース・コード』を読みながら開場するのを待つ。試験官や資格学校の関係者と思われる人たちが続々集まってきている。
ある試験官が資格学校のスタッフに今年の一級試験の学科のことについて話していた。福島県だけ5%の合格率だったらしい。その他の都道府県は10%だったそうだ。このことについてなぜ福島県だけこんなに低いんだと嘆いていた。私も一級の学科を受験していて落ちているだけに耳の痛い話だった。試験官が資格学校に通っていない人たちが合格率を下げているのでは?と話していたが、続けてそれはどこの都道府県も同じ条件だと話していた。

資格学校のスタッフによると学校に通っているのはゼネコン勤務の人が多く、しかも、県内に出張などで来ている人たちが中心のようだ。
その後、資格学校の通学生が集まってきて資格学校のスタッフと色々話していた。私は引き続き用意した復習用のファイルを読んで試験に備えた。

10時になり会場が開く。試験場所は机が昨年と同じように狭かったが、対策として滑り止め用の市松状に穴が空いているゴムマットを敷いたため製図板はびくともしなかった。我ながらファインプレーだったと思う。製図板にA3の方眼紙をセットし心を落ち着かせるために少し線を引く。
携行食としてチョコレートバーの「スニッカーズ」を持ってきた。最端製図の掲示板で神無先生がチョコを食べながら試験を受けていたと話していたからだ。試験官からは特に何も言われなかった。

11時に試験開始。とても難しい問題だったが、60分でエスキースを切り上げ保険プランで挑む。製図は3時間で終わりチェックに1時間取れる。
その中で建ぺい率違反と延床面積のオーバーに気づき大急ぎで修正する。2階の交流室と居室も通過動線になってしまったが時間が迫っていたため諦める。
16時に終了。多少減点はあるが、昨年より実力が上がっていたことを実感した。

帰りの電車の中で、スマホで大相撲の秋場所の結果を見る。若隆景は大関昇進がかかっていた場所だったが負け越してしまった。しかし、怪我による幕下陥落から大関とりに挑む姿は、私に諦めない情熱をこの1年を通して与えてくれた。

—— そのあと最端製図に再現図を送り採点してもらいました。結果は62点、平均点は63.2点。後半戦第4課題の点数が90点だったため、かなり下がってしまいました。神無先生によると今年は難しく合格点が50点になるかもしれないと連絡がありました。しかし、万が一もあるのでとても不安でした。
試験が終わった後は一番近くで応援してくれた家族のために、階段に手すりをつけたり障子を張り替えたりなど、なるべく積極的に家事を手伝うようにしました。

12月2日 二級建築士合格発表日(2回目)
朝10時ごろ試験センターからマイページにアクセスするように案内のメールが届く。鼓動で心臓が爆発しそうになっている。サイトにアクセスしている人が多く開けない。スマホのURLの下の読み込みのバーが1cmくらいに伸びたもののそこから止まってしまった。

ようやくセンターのホームページに公表してある合格者一覧を見る。昨年の車の中で見た記憶が蘇り嫌な気持ちになる。上から順に辿っていくと受験番号があった。自分の目の読み間違いではないかと焦ったがどうやら合格しているようだ。

—— ここまでが二級建築士合格までの道のりです。

この資格のおかげで、もう一度建築業界に戻る起点ができました。
改めてここまで支えてくれた神無先生をはじめ、meo先生、最端製図のスタッフの方々、同期生の皆様、私の家族、若隆景関に深く感謝申し上げます。特に神無先生には二級の製図試験対策講座しか受講していないにもかかわらず、一級を含め様々なことを相談させていただきました。お礼は言い尽くせません。

来年は横綱である「一級建築士試験」に挑むため、さらに稽古に精進します。