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やまとみじんこさん   「二級建築士試験 体験談」

やまとみじんこ    『二級建築士試験 体験談』

 

最端10, 11期生のやまとみじんこと申します(合格時点で27歳です)
あまり参考にならないかもしれませんが、体験談を書かせていただきます。

私、大学はいわゆる建築学科に通っておりました。
ただ、もともと建築設計ではなく、日本建築史を学びたいと思い、実家から遠く離れた大学へ進学しました。
幼いころから、親の仕事の影響もあってか、文化財といわれるような「古いもの」に興味があったのです。

しかし、進路を考えていた高校生当時は、建築学科というところがどういったところなのかもよく知らず、
また調べもしていなかったため、のちに苦労することとなるのでした。

大学に入って間もないころは、見るもの経験するものすべてが新鮮で楽しくもあったのですが、建築設計課題が本格化するにつれ、
そうした興味も薄れていきました。

後から知ったことですが、私の母校は「課題」が厳しいことでそれなりに有名だったようです。
ただ厳しいだけならまだよかったのですが、どうも母校の先生は「建築家」や「デザイナー」気質の方が多く、
課題ではやたらとデザイン性を求められたように思います。

―――なぜ彼らはやたらと「丸っこい壁」やら「スケスケの外観」やらをお求めになるのでしょう(笑)

やや愚痴っぽくなりましたが、ともかくも私にとっては、そうした基本を無視したデザイン重視の設計が苦手でした。
もちろん、建築に素敵なデザインを求めることはよいことかと思うのですが、その前に設計の基本をきちんと教えてほしい、というのが本音でした。
そう、まさに最端で教えていただいたようなことが学びたかったのです!

(今思えば、「大学」というところでは、そういう基本的な部分は自学自習すべきものだったのかもしれませんね…)

そんなわけで、すっかりひねくれてしまった私には、建築に対する興味は全くなくなり、むしろ建築そのものが大嫌いになりました。(ごめんなさい ><;)

幸い(?)、母校では3年次から芸術系の「文化コース」を選択できたため、何とか前半の2年間を耐えきって、建築から足を洗ったのでした。
このときには、きっかけであった日本建築史にすらも、興味を抱けなくなっていました。

 

その後、なんとか(卒業制作ではなく)卒業論文を執筆して大学を卒業することはできました。
そして、学部の頃とは全く違う分野の、それも他校の大学院へと進学しました。
多分に後ろ向きではありましたが、とにかくそれまでの学部から離れたい一心でした。

時は流れ、ようやく本当にやりたいことを見つけた私は、大学院の博士課程にも進み、楽しく過ごしておりました。

そんなある日。そう、冬の寒い日の夜でした。(平成27年の1月でした)
ベッドの上に横たわり、電気毛布でぬくぬくとしながら眠りにつこうかというとき、ふと二級建築士のことが頭に浮かびました。
今でもなぜそんなことを考えたのかよくわかりません。それくらい唐突な思いつきでした。

大学院進学当初は「ようやく建築から離れられた!」ということがうれしかったのですが、やはり心のどこかでは建築のことが気になっていたのでしょう。

今も身を置く研究分野は少なからず「文化」や「古いもの」とも関わりがあり、親も進学をたいそう喜んでくれたものでした。

しかしながら、やはり学部に入学したころは、おそらく親も私が建築士の資格を取ることを期待してくれていたはずです。
結果はどうあれ、「建築を学ぶ大学」の学費を出してくれていた親の期待を裏切ってしまっていたことは事実なのです。

そんな思いが去来するうち、「二級建築士、取ってみるか」となったのです。

以上、プロローグ(長っ)

 

さて、思いついたのはよいのですが、なにせ建築から離れて久しく、また学部当時も建築に関しては決してまじめな学生ではなかったので、
何をすればよいかもわかりませんでした。

ひとまず、試験の制度などを調べるところから始まったのですが、過去問を見た瞬間、絶望の淵に立たされることになるわけです(学科、製図とも)。

とくに製図など、こんな図面が自分にかけるのか!?
ムリムリムリムリ!!

しばし途方に暮れてしまいました。

早くも心が折れかけましたが、とりあえず、学科は独学でも勉強すればなんとかなると思い込み、参考書で地道に勉強することに決めました。

しかし、製図は自分一人ではどうにもならないだろうというのは明白でした。
一応製図の参考書なども手に入れましたが、建築アレルギーな私には、面白さのかけらもなく、「製図の基礎」みたいな頁にも取り組むことができませんでした。
当然ながら、学費の高すぎる資格学校などに通う選択肢も最初からありません。

さあ困った、というところで偶然ネット上に見つけたのが、なにをかくそう最端製図だったのです!

調べるうち、通信添削をおこなう業者さんはいくつか見つかりましたが、
飾らない雰囲気や、一般向け掲示板の神無先生の気の抜けた雰囲気(注:ほめ言葉)などに惚れ込み、最端の受講を決めました。

実際に申込をしたのはすでに前半戦の始まっていた3月だったでしょうか。
ちょっと遅れ気味のスタートでしたが、ここでようやく、二級建築士試験を本当に受験する決心がついたように思います。

幸いだったのは、私が大学に入学したのが平成20年度で、途中で建築コースから外れた私にも、
学部の卒業だけで受験資格が与えられたことです(ギリギリでした!)。

 

さて、このとき実は私の中でもう一つの決心をしました。

それは、「試験に合格するまで、両親には受験をすることすら絶対に内緒にしておこう」というものです。
すでに私が完全に建築を捨てたものと思っている両親に、ある日突然二級建築士試験の合格通知を見せたら驚くに違いない、
そんないたずら心が芽生えたのです。

自分勝手ではありますが、この両親を驚かせたい、喜ばせたいという「夢」は、その後のモチベーションを維持する大きな支えとなりました。

そんなこんなで、まともな建築図面もほとんど書いたことのなかった私の受験勉強が始まりました。

7月までは、学科試験の勉強と並行しながら最端の添削で製図の基礎を勉強しました。
スタートが遅かったので、はじめは課題のペースに追いつこうと、あまり理解の深まらないままに図面を引くこともありましたが、
的確な添削のおかげで次第に図面がかけるようになっていくのを感じました。

実はこのころから図面を描く楽しさに気づき始めていたのですが、往生際の悪い私はそのことを認めたくありませんでした。
頭の中で、建築なんか嫌いなんだいっ! と無駄な抵抗を続けておりました(笑)

7月、学科試験は何とかこなし、自己採点が89点だったために安心し、いよいよ製図の対策に本腰を入れることとなりました。

ただ、このときの安心が油断につながったのか、当年度の製図試験では不合格となってしまいました。
RCで描きやすいな~と思っていたことも問題だったかもしれません。
再現図の採点は真ん中より少し高いくらいの得点で、内心期待していたので、結構ショックでした。

不合格の現実を突き付けられた時、やはり一度は悩みました。
もう一度受験するのか否か。

1年間ってすごく長いですから…

 

でも、ここで「夢」はあきらめきれませんでした。
次こそ絶対に合格して、親の喜ぶ顔を見てやる! と心に誓ったのです。

2年目となる平成28年の課題は木造でほぼ確定でしたから、また一から勉強しなおしです。
1月くらいから前半戦に申込み、再スタートを切りました。

前年の勉強のおかげで、試験の戦い方をある程度体得できていたのは、すごくよかったです。

要求されていることをきちんと図面に表現し、「抜け」のないよう徹底する―――
これがいかに重要であるかを知ったうえで取り組むことで、苦手意識の強かった木造課題も次第にこなせるようになってきました。

やはり矩計図や伏図には難儀させられましたが、ドローイング・コードや伏図テキストを使って繰り返し書くうちに暗記やコツの理解が進みました。

そう。この試験を受けてみようと思い始めた人に伝えたいのは、
複雑そうに見える図面も、いつのまにかちゃんと描けるようになってくるんだよ~ということですね(^^

 

いい加減2年目なので、木造の基本が理解できたらあとはひとつひとつの課題を本番と思ってしっかり取り組むのみです。
後半戦が始まるころには、5時間の間にチェックまで終えられるようになっていました。

 

さて、添削講座の内容をあまり書かず、参考にならない体験談で申し訳ありませんが、製図試験当日です。

1年目と同じ会場での受験でした。
席について製図版を固定する―――
2回目ともなるとこちらも慣れたものです。

緊張しつつも冷静なふりをして試験開始を待ちます。
「あ~、この部屋の試験監督さんたち、去年と全く同じメンバーだ~」などと思いながら。。。

そして、問題用紙が配られ、裏から透けて見える謎の敷地図に若干おびえながら、これまでの添削講座で作り上げたチェックリストを脳内で確認。

いざ、開始。

 

ぎゃあ。

 

課題の内容は公開されているとおりですが、少しだけ敷地図に驚きました。

でも、基本はこれまでやってきた課題と同じはず、と思いながらエスキースを進めていきました。

 

が、吹き抜けの条件や全居室南面を満足しようとすると、なかなか収まらないんです。
2階部分が無駄に広くなったり、延べ床面積が範囲外になりかけたり。。。

 

ぎゃあ。

 

そうこうするうちに、普段エスキースに費やす60分があっさり経過。
「マズイ!」思い始めたらもう焦りが止まりません。

半泣きになりながらなんとか80分でエスキースを終了。
最高速での作図に取り掛かりました。
これまでの経験上、ぎりぎり間に合うか、という感触でした。

線や字のきれいさは二の次で、一心不乱に描き続けます。
立面図の窓については、2年間で初めて単線での表現をしました。
この選択を迷わずにできたのも、最端マインドがあったからだと思っています。

断面図を桁行方向で切らざるを得ず、また練習しなかった片流れ屋根がどうしてもできてしまい、とにかく自信のない図面でしたが、
なんとか描きあげることができました。

最終的にはチェックに20分ほど使うことができたので、自信のないところ以外は絶対に落とすまい、と鬼チェックをおこないました。

 

しかしながら、やはり練習してこなかった表現を勘で描いたこともあり、試験終了後は不合格の可能性の方がよっぽど高いと感じ、気落ちしてしまいました。
またもう一年やるのか・・・・・・と。

製図板を抱えてとぼとぼと帰路に就くさまは、きっと惨めだったことでしょう。

とはいえ、自分だけでは試験の出来がもうよくわからなくなっていたのも事実。
ダメもとで再現図を添削してもらうことにしました。

試験場から帰ってきた後、味のしない晩御飯をおなかに入れ、再現図の製図に取り掛かりました。
描きあがったのは、もう日付も変わろうかという時間でした。さすがに疲れました。。。
翌朝図面を発送できるよう準備だけして、眠りにつきました。

数日後、添削された再現図が帰ってきました。
良くて70点台、最悪失格もあるかと思い、怖くてなかなか封筒を開けませんでした。

ようやく落ち着いて採点表を恐る恐る見ると―――

 

92点

んなアホな。
何かの間違いかと思いました。
これまで、シンクロ模試でも80点台がせいぜいだったのですから。。

なにゆえかと思い図面を見ると、あまり朱入れがなく、下の方には「大丈夫と思いますよ」との神無先生のコメントが!

最端生の方であれば、神無先生がさらっと書くこのコメントが、どれだけインパクトのあるものかご理解いただけるものと思います(笑)

しかし、そんなことでは騙されません。これはきっと、神無先生の陰謀に違いありません。
落ち込む受講生を元気づけようとしているんです。
(脚色しているようですが、本当にちょっと信じられませんでした… ><)

前年のトラウマもあって、その後もやはり安心はできず、発表の日までの約3カ月間、胃を痛めながら待つことになるのでした。。。

 

さて、この体験談も終わりに近づいてきました。結果発表の日です。
朝からバタバタしていて、センターのHPを見られたのは午前10時過ぎでした。

震える手でマウスを操作し、合格番号一覧を開くと…

 

ありました!
何度も確認しましたが、確かに自分の受験番号が載っていたのです!
神無先生、疑って本当にすみませんでした! (笑)

長かった2年間の努力が報われ、本当にうれしかったです。
これでようやく「夢」をかなえることができます。

より震えの強くなった手でマウスを動かし、今度は翌日の新幹線を予約するのでした。

 

以下、エピローグ(?)

二級建築士試験の受験を決めたころからのプランを、ついに実行に移す時が来ました。
HPでの発表の翌日、職場を定時に出て帰宅し、ポストに届いていたはがきを握りしめ、すぐに故郷を目指します。

移動中、これまでの長かった道のりが思い出され、実に感慨深かったです。
実家に近づくにつれてはやる胸の鼓動を抑えつつ、でも抑えられず、結局最寄駅からは駆け足で帰りました。

 

久しぶりに会う親との会話、夜も更けていきます。
そろそろ頃合いかな、といったところで例のはがきをすっと差し出します。

「なに、これ?」といっておもむろに開いて見たはがきの内側には―――

きっと驚くようなことが書かれていたに違いありません。

 

最後に。

この二年間、個人的には就職したり、海外での研究発表があったりと、なかなかに忙しい日々だったと思い返しています。
そんな中でも、製図試験の勉強を続けられ、合格することができたのは神無先生をはじめ、最端製図スタッフのみなさんのサポートがあったからです。
大変お世話になりました。
それに、もう白状しますが、製図を楽しいと思うようになってしまいました。負けました。
これもすべて最端のせいです(笑)

当初思っていたより時間がかかりましたが、
最端製図のおかげで、私は「夢」をかなえることができました。
本当に本当にありがとうございました!!!!